拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)

拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)
拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)
トム・ジョーンズ
河出書房新社
2009年10月2日
9件の記録
  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2025年6月28日
    大好きなトム・ジョーンズの短編集を久しぶりに読み直した。小説たち自体も岸本佐知子さんの翻訳もバッチリ最高で、やっぱり大好きだった。 とはいえ、再読までの間の時間は、読みながら考えることを増やしたり変えたりもさせるわけで。今回は、海兵隊に入隊しながらもベトナムに行か(け)なかった作家の描く、ベトナムに従軍した海兵隊員の物語にアメリカにある海兵隊の「呪い」(海兵隊員は死ぬまで海兵隊員だ、とか)がある気がしてきたり、この作家にもルシア・ベルリンと同じような「あきらめ」を感じて、ここにある小説たちはそのうえで書かれている、そしてそれはデニス・ジョンソンの「海の乙女の惜しみなさ」の帯に書かれていた作品に漂う「死」とも同じようなものではないか、とか思ったり。 それがとても濃厚な、普段は意識しない(ようにしている)ような自らの死を強烈に確実に意識しながら死に向かっていく女性の話は、テーマも小説としても凄まじかった。同じように病床で完全に自覚したうえで死に向かっていった父親は何を考えていたのだろうか……そんなことを考えたりstoryやReadsに書きちらかしながら読んでいた。 巻末の岸本さんの訳者あとがき(オリジナルの方)も、本編に劣らずとても素晴らしくて。そこで「ここに集められた物語に登場する人々の多くは、どこかこわれた人たちである。」と書かれていたけれど、彼女、彼らがこわれているとするなら、わたしたちの多く、少なくともわたしも同じようにどこかこわれているのではないか、と気がつく。そのうえで彼女、彼らの物語を読めば、そこにはこわれていることも「あきらめ」た、その先にしかないようなタフな希望を感じることが出来る、出来た、そんな気がした。そして、その「どこかこわれた人たち」の何人かの傍には犬が居た。これもとても重要。犬は人にとっての希望、あるいは大袈裟にいえば生きる意味にもなり得るんですよ、などとも思ってみる。 と、今も言葉足らずのまとまらない文章を書いているけれど、日中には岸本さんのあとがきを踏まえてもう一度読み、考え直すしかない、と30年前のサマージャムにもあおられながら、文庫本をポケットに入れて「解ってんのに炎天下に全然意味なく 家出たりして」。そうしたら6月にして「夏本番」で汗をかきながら歩いて「まずは本屋」に向かってみた。 チェックしたかった本は置いていなかったから、もうすぐ切れそうなボールペンのリフィルだけ買って、次は古本屋だ。また歩く、汗をかく。「生きているのを実感するぜ」。これはとあるラッパーのライブでのMC。2軒目にして少し前から欲しかった本を発見して溜飲を下げる。歩いた甲斐があった、と店の前の信号を待ちながら適当に捲ったページの文章に完全にフィールした。もうこの時点でこの本は最高だ。そしてこの瞬間はトム・ジョーンズの短編で、記憶を失った徘徊症の広告屋がムンバイのビーチで年老いた白い馬に出会ったような、特別な偶然、魔法のような瞬間なのではないか。そう思い込む。 ボビー・ハッチャーソンのビブラフォンを聴きながら夕焼けを眺めた帰路に、結局短編集は1ページも開かなかった(けれど、休憩した木陰のベンチで写真は撮った)し、考えも文章もまとまらなかったことを思い出したけれど、1日としては全部OKになった気がしていた。そしてこの文章はまとまらないまま、いつのまにか日記のように着地しようとしている。これもきっと「夏のせい」、かもしれない。
    拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)
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    @DN_HP
    2025年6月28日
    『白い馬』という短編。 「この地球上の誰もかれもが、自分自身でさえが、吐き気がするほど嫌だったーしかし、この白い馬だけは、どうにかして苦しみから救ってやりたかった。おのれ自身と二日酔い以外に意識を集中させるべき対象があるということに、ふいに彼は救われたような気持ちになった。」 記憶を失った徘徊症の広告屋がムンバイのビーチで出会う年老いた白い馬。魔法のような瞬間と、そこにある救われたような気持ち。こういう”無然”を描いた短編が読みたいのだ。
    拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)
  • DN/HP
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    @DN_HP
    2025年6月28日
    訳者あとがきの岸本さんの文章もめちゃくちゃ素晴らしい。
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  • DN/HP
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    @DN_HP
    2025年6月28日
    「ここに集められた物語に登場する人々の多くは、どこかこわれた人たちである。ある者は肉体的に傷つき、ある者は精神を病んでいる。」 彼女、彼らの多くがこわれている、とするなら、わたしたちの多くもどこかこわれているのだ(とすれば「こわれた」という表現には少し違和感があるけれど)、と気がつく。そのうえで彼女、彼らの物語を読めば、そこには絶望ではなく、その先にある希望のようなものを感じることが出来る、出来た気がする。
    拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)
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    @DN_HP
    2025年6月28日
    この短編集で描かれる「どこかこわれた人たち」の何人かの側には犬たちがいて、それもとても重要なことだと思える。犬は人にとっての希望でもあるんですよ、と犬たちの迷惑にならない程度には思っておきたい。
    拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)
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    @DN_HP
    2025年6月25日
    「一度海兵隊に入った者は死ぬまで海兵隊員だ。」というのは、アメリカにある“呪い”のひとつだろう。
    拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)
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    @DN_HP
    2025年6月25日
    ルシア・ベルリンの短編集を何度か読むことで浮かびあがってきた「あきらめ」は、久しぶりに読んだトム・ジョーンズの短編にもにじんでいたのだった。
    拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)
  • 水色
    水色
    @aotoshirode_
    2025年6月22日
  • らくだ
    らくだ
    @camel826
    2025年3月11日
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