愛と性と存在のはなし

5件の記録
くりこ@kurikomone2026年3月6日性をめぐる言説にモヤモヤすることがあるので、手に取ってみた。 中盤まで読む ーーーー 高度経済成長は男性がもう一度戦争をしているという赤坂さんの言及には同意する。あれ、PTSDの過覚醒なんだよね・・・ 上野さんが2019年にされた東大の祝辞。入学したての男子生徒にとって、あの祝辞は残酷であると考察していて新しい視点を頂いた。、「フェミニストを前にすると責められていると思ってしまう」という男性学専門の西井開さんの言葉を思い出す。これは、第一章に記載されている、ドイツのヴァイツゼッカー大統領が、戦争で傷ついた者たちを慰めていた話と繋がってくる。加害者も一旦は免責することが必要であると確か信田さよ子さんがおっしゃっていた。 「エレクトリックギターの名人が男性ばかりなこと、工学部に男子学生が多く入学することなどを、どこからが身体にねざした傾向で、どこからが社会的刷り込みなのかはっきり分けられない」という文章に、基本的に社会的刷り込みを重視するフェミニズムばかり読んでいる私ははっとさせられた。 体からくるものは必ずある、ただ、こればかり強調すると本質主義になったり、トランスヘイトの言説を強化してしまうから、私はまだどう表現していいかわからずにいる。
くりこ@kurikomone2026年3月6日読み終わった読み終わった 読み始めた当初は、男、女という言葉がなんの断りもなく出てきて本質主義なんじゃないかと思ったけど、赤坂さんは、陰陽のエネルギーの流れの対局にある者同士を男、女と示されているよう。 また、この本を読んで、身体的差異からくる選択の傾向というのはやっぱりあるなと思いなおした。フェミニストとしてて構築主義の立場をずっと取ってたけど、どこからどこまで身体的特徴から選択しているのか、社会的に押し付けられているのかと、明確に線をひけるものではないのだろう。 驚いたのは、赤坂さんのご友人Mさんのようにトランス女性でありながら、ジェンダーアイディンティティが男である人もいるということだ。私は、単純にトランスのことを「性別を越境したい人」と認識していたけど、そのステレオタイプな見方はトランスの人が新しい問題を抱え込むことを助長しているのだ。 「すべての人はモザイク状にできていて男であり女である。・・・そのモザイクのピースが女と男どちらに生まれたボディと適合したりしなかったりする。すべての人は性同一性障害なのだ」 「いわゆるマイノリティについて、性的マイノリティの一形態とされる性同一障害の何たる事かも、この時わかる。それは質において異質で特殊なのではなく程度において甚だしい。だからすべての人に薄くある性質である」 ーーーー 私は、ずっと「女」であると自認してきたけど、「女をやらされている」という感覚がある(これは母親が私の女性性をずっと否定してきたから。母への反抗のため「女をやっている」ということ)。でも、この本を読んだら自分のジェンダーアイディンティが分からなくなった。とりあえず「クエスチョニング」として生きよう。
停好@ODAQ2026年1月17日読んでる「どこまでが不可抗力かどこからが意志なのか、女の人生はきわめてわかりにくい。それに対しての意志の持ち方が、よくわからない。持ってもどうにもならないこともあるし、流されようと思ってみれば、全て流されることもできる。すべてがアクシデントとその結果のように生きていくこともできる。」 ここかなり『すべて真夜中の恋人たち』の主人公に似通っている。



