文學界 2026年 3月号
15件の記録
DN/HP@DN_HP2026年4月29日中上健次の「岬」を読んで、文体について考えていたけれど、基本的にはああ言う省略や短縮、言い切りで作られたものよりも、一節のなかで二転三転する、息が長くて、最後には一見関係にないような、でも印象的な一言を吐息のように付け加える、思索をそのまま言葉にしようとしたようなやつが好きなんですよね。ここに収録されているような滝口悠生さんの短編でも読めるそれとか。で、そんな文体でなら、「日常」と呼ばれるような誰かの特別な話が読みたいわけです。


DN/HP@DN_HP2026年4月28日本と日記のある過去@ 図書館読みそびれていた『文學界』三月号に掲載されている滝口悠生さんの短編を、雑誌の所蔵がある少し遠い図書館まで歩いて読みにいく。 最近は滝口さんの小説にはEVISBEATSとNagipanによる音楽を合わせたい。前作、前々作を歩きながら聴いてきたから、この短編には先日リリースされた最新のアルバム、《三三三(Sanmai)》を合わせよう。再生しようとスマートフォンの画面をみると、おお、一曲目のタイトルが短編のタイトルと同じではないか、とその偶然にぶちあがる。という勘違いをする。「初日」と「祝日」。なるほどね…… それでも、きっかけは勘違いだったとしてもこのぶちあがり自体は真実だから、と思い込みあがった気分を抱きしめながら読んだ短編はやっぱり素晴らしくて、音楽ともとても良く調和していた。勘違いという偶然も含めて、これも最高の読書体験だな、と思う。 帰り道には歩きながら、少しだけ小説の内容を自分に引き付けてみる。引きつけるというか、過去を思う小説のことを考えだせば、自ずとわたしの過去も浮かび上がってくる。 登場人物の人生から連想されたある人のことを思い出す。ここ数年会えていない友人。その会えなかった年月であったこと、あったかもしれないこと、あって欲しかったこと、わたしには知る術もなく過ぎていってしまったこと、などを思う。やはり哀しくなる。その哀しみも、今は抱きしめたいと思う。 今日の気候はとても良い春だった。近所のスーパーの前に出店していたトラックで、小説では買いそびれていた焼き鳥を何本か買ってみる。 小説の本質というのは過去を思うことで、過去を思うことはどうしても哀しいから、小説を読むことはいつだって少しだけ哀しい。でも、その哀しみは抱きしめておきたい。そんなことを最近の滝口さんの小説を読んでいると思ったりする。








湾岸スキーヤー@wangan-skier2026年2月16日読み終わった高瀬隼子「一息の劇場」 仕事において意義のある活躍ができた時は大して誰も注目してくれないのに、取り止めのない雑用を引き受けた時だけ感謝されるモヤモヤ、という観点に初めて小説で触れた気がする。 高瀬隼子ってもともと大学職員だったのかな
しもん@shiminnoaka2026年2月10日読み終わった四方田×渡邊対談のみ。中上論を上梓したという共通点から2人の注目する作家たちまで。四方田が今年少なくとも4冊の単著を出すつもりらしいというのが最大の収穫。












