弓と竪琴

9件の記録
黒井 岬@caperoy2025年5月1日読み終わった長いこと格闘して読み終えた。ヨーロッパの散文・韻文とそのリズム等について論じた章やギリシャ叙事詩の章は当然のように歯が立たなかったが、メキシコに生まれアメリカ・ヨーロッパを巡り、東洋にも渡って親しんだパスの獲得した普遍性の上に編まれた詩論に、難解な本書ながら今触れられて良かったと思う 頑張ってかじりついて読み終えて、訳者のあとがきを読みながら何となくほっとする。 以下【彼岸】の章より抜粋 自らの中で真に孤独である者、自らの孤独において充足している者は、孤独ではない。真の孤独とは、自らの存在から離れていること、二つになっていることである。われわれが皆孤独なのは、われわれが二つになっているからである。未知の人、つまり他者は、もう一人のわれわれである。(中略)われわれの足元には虚(うろ)が、くぼみがあるのだ。人間はやっきになって、しかも苦悶しながら、自分自身であるその他者を探し求める。そして、他者を彼自身の中に戻しうるのは、ただ決定的な飛躍——愛、イメージ、〈顕現〉——のみである。



黒井 岬@caperoy2025年5月1日読んでる「アステカ人の間に見られるように国家の中に具現される宗教と、ローマ人におけるような、宗教を利用する国家とは同じではない。(中略)ローマ人とアステカ人の対照は、聖なる芸術と公的芸術の差異を示している。」 補遺 I 詩、社会、国家
黒井 岬@caperoy2025年4月29日読んでる「今日の枯渇した世界、円環的な地獄は、その詩化能力を切り落とされてしまった人間の鏡である。類概念や種概念に帰することのできない、純粋な質のすべてをそなえた領域、計測や数量を拒絶する現実の広大な領域―まさしく生の本質―との接触は閉ざされてしまった。」 生きることの手ざわりにひとがより一層飢えていると感じる、この世はどうなるべきなのだろう、自分はどう生きるべきなのだろう、

黒井 岬@caperoy2025年4月12日読んでる「インスピレーション」の章が面白い。創作における、自分の経験に照らして理解しながら読める。天啓のようなインスピレーションという他者を、しかし何を自分にインプットするかを選んで意識的にある程度の操作をすることもできるとは思う。我々がコントロールできないのは自分の人生が何に出くわすかという運命のような部分で、筆者はそういう部分のことを言っているのだろうか 昨日会った人にこの本のことを話したらオクタヴィオ・パスをググり始めて、「あ、誕生日一緒だ」と言っていた

黒井 岬@caperoy2025年3月15日読んでるメキシコ出身の友に、メキシコの作家のお勧めを教えてと尋ねたらオクタヴィオ・パスが好きそうだと言われて入手。小説家かと思ったら違った。まだ序盤だが面白く読んでる。ポエジーと詩(ポエム)と、道具と技術と。



