下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
26件の記録
由々@kk_23292026年10月4日まだ読んでる読書日記@ 電車p.179-240/277 --- --- なんやかんやでよく考えたら結局、内田樹先生の本をちゃんと読むのはこれが初めてかと思うけど、勝手に、フェミニストでなかったとしても、もっとフェミニズムに理解のある人やと思ってた気がする。やっぱり結局自分事ではないというか、理屈としては多少わかってはったとしても、実感・経験としては何もないに等しいんやなとこの本全体からむんむんと感じる。(もちろんこの本が書かれてからまただいぶ年月は過ぎてるから、今の内田樹先生がどうかは知らんけども。) この本で書かれている「古き良き時代」の部分について、言ってることはわかるけど、やっぱり私としてはどうしても、その陰に隠れた女性の負担に思いを馳せざるを得ない。その見えないものとされてきた女側の負担無くして成立し得なかったものなんやろ結局。 「自己実現・自己責任と社会保障制度は表裏一体」ではないよ。そこには、「その家庭内の負担を男性が担う」という視点・選択肢がすっぽりこっぽり抜け落ちてるやろ!!! それにな、時代と共に「団結」ができなくなっていったって言うけど、女同士は今でもずっと、その辺男同士に比べて上手やねんで?「ケア」をし合うということができひんのは男同士の側やん。師弟関係にそんなに肩入れできるのも、それは男の中では体系的に脈々と受け継がれてきたものかもしれんけど、女は身内同士以外の家の外にそんなもん持ってない人がほとんどやったはずや。師弟関係ものの物語も、女性にとってはただの「男が好きそうな男の物語」でしかないってだけやわ。フンス( `ω´)

由々@kk_23292026年9月4日まだ読んでる読書日記@ 電車p.124-158/277 --- "このイデオロギー教育の恐ろしい点は、そのようにして階層下降すること、が「自己決定したことについての自己責任の引き受け」である以上、この子どもたちがそのことからそれなりの満足感と高い自己評価を引き出すならば、階層下降が一層加速されるということ"(p.131) --- 所々で軽い反論みたいなものが頭に浮かぶのだけれども、それが的を得ているものなのかどうかはよくわからないと思ってしまう。
だっしー@chik_4482026年9月1日読み終わった20年ぶりの再読。 本書を「警鐘」ととるか「イヤミ」ととるか好き嫌いが分かれるだろうと思うが、自分としては頷ける点が多い。特に「師弟関係の条件」はなるほどと感じた。 入力と出力にタイムラグが生じるのが「学び」であるならば、読書もそうだなぁと思ったりした。
由々@kk_23292026年8月29日まだ読んでる読書日記@ 待合室p.103-124/277 --- "政治家だけでなく、メディアに登場する知識人たちのほとんどは「私は正しい」ということを言い立てることにはたいへん熱心ですが、自分の理説や命題が破綻するのはどういう場合かについて吟味することにはほとんど知力を投じません。けれども、これは知性の使い方として間違っていると思います。"(p.115) "明治以来、近代化のプロセスの中で、日本人は「迷惑のかけ合い」という仕方でリスクをヘッジしてきました。(略)僕たちは血縁共同体や地縁共同体のような中間的な共同体を、「近代的自我」の自立を阻む前近代的遺制であるとしてネガティヴに捉える知的習慣になじんでいますけれど、日本全体が貧しかった時代に、(略)相互扶助の(それは同時に、相互に繋織し合い、相互に干渉し合う、ということですが)共同体は「迷惑をかけ合う」システムとしてそれなりに有効に機能していたと僕は評価しています。"(p.123) --- 2つめの引用、考えさせられるかなとは思うもののそれでもやっぱり私は嫌やと思うやろなとかもやもや考えてるうちに、何がもやもやしてたのかめちゃくちゃ単純なことに気がついた。その「迷惑かけ合いシステム」の中で、実際に本当にその「迷惑」を被っていたのは女性なのでは?というところにモヤるんやわ。この話は果たして、それはまた別の話と内田先生にすらも言われてしまうものなんだろうか。
由々@kk_23292026年8月25日まだ読んでる読書日記@ 待合室p.70-103/277 --- "中教審答申と同時期に、やはり内閣の諮問機関である「二ー世紀日本の構想懇談会」が「自己決定・自己責任論」というものを展開しました。"(p.92) --- ちょこちょこ何言うてるんかわからんところもあるけど(空間表象の話とか)、文単位での理解はかなりしやすい平易な文章なので、わからん割にはすいすいと読み進められてる気がする。 自分のこれまでの経験とか、他で見かける話とかとリンクしやすいトピックという意味でも面白く読んでる。(そもそもの社会に溢れる情報量の今と昔での違いとか、その分野を学ぶ意味は進路の選択に関わる場合もあるのでは?とか)「自己責任論」の発端(?)はそんなに前の自分が子どものころのことやったのは全然知らんかった。
由々@kk_23292026年8月4日まだ読んでる読書日記抜粋@ 飛行機p.33-70/277 --- "「人を殺してどうしていけないのか?」と問う中学生は「自分が殺される側におかれる可能性」を勘定に入れていません。同じように、「どうして教育を受けなければいけないのか?」と問う小学生は「自分が学びの機会を構造的に奪われた人間になる可能性」を勘定に入れていません。自分が享受している特権に気づいていない人間だけが、そのような「想定外」の問いを口にするのです。"(p.43) --- なるほどねぇえ~~。個人的には、初めて自分でお金を使って何かを買ったときのことというのは全く記憶にないけども。とはいえそんな表面上の話をしているわけではないよな。
由々@kk_23292026年8月3日まだ読んでる読書日記@ ホテルp.25-33/277 --- --- 「矛盾」↔「無純」という誤字からあれだけの分析が出てくるのがすごい。頭の良い人ってこういうことよなと。 ただ、ここでの議論の核心というよりは表面的な話にすぎひんのかもやけど、こういう「無純」タイプの誤字に関しては、ガラケー時代からの「コンピュータによる漢字変換」というものの影響は少なからずあるのでは。と、ガラケー勃興期・インターネット勃興期?に中学時代を過ごして、手書きの手紙交換をしまくっていた身としてはめちゃくちゃ思っている。 大阪の中学生やった私としては、周りの先輩や友だちたちが、手紙で「ほんまに」(「本当に」の意)を「本間に」と書きまくっていたことを忘れられないでいる。(高校生になってケータイを持たせてもらえるようになってからは、メールでも度々目撃した。)それは苗字の本間さんの本間ちゃうん…?関西弁の「ほんま」なんかに漢字があるわけなくない…?と、1人ひっそりとしかしずーっと、思っていた。
由々@kk_23292026年8月2日買った読み始めた読書日記紙の本古本旅のお供本旅行のお供@ 飛行機0-p.25/277 --- --- こちらも古本市で買った7冊のうちの1冊。 もしや…?と思っていたが、やはりこの本が書かれた時代の、つまりこのタイトルにある「子どもたち」「若者たち」が指すのはちょうど私たち世代やと思われ。

- ちゃんだい@chandai2026年1月25日読み終わった等価交換の話は納得。結構前に発売された本だから、この本でいう等価交換を重んじる若者は、いまや40代となる。学業に限らず何事にも等価交換を求める姿勢は全てにおいて大成しないように思う。目に見える対価や成果がなくとも毎日コツコツこそやることこそがすべて。










