新たな距離

新たな距離
新たな距離
山本浩貴
山本浩貴(いぬのせなか座)
フィルムアート社
2024年3月26日
16件の記録
  • @mori16
    2026年4月11日
    この著者の「灰と家」。異なるジャンルの言語作品が同じページに同居するスタイルが新鮮で、なんでこうなったんだろうと思って、著者検索したら出てきた。
  • Ryu
    Ryu
    @dododokado
    2026年3月22日
    「こうして作家は、この第四間氷期の人類の歴史に、はじめてあわられたところの、唯一の考える人ででもあるかのように、伝統にたよらぬ独力のいきごみで、いっさいの方法的援助を拒みつつ事後的に〈アトリエ〉を、「言葉」と「もの」の相互発達の場として、あるいは自らの生に紐づいた抽象的かつ物質的な場として、肉体と紙面の長期の関わりのなかから作り上げていく。そこでこそ小説を書くことが、その作家におけるこの現実世界の内側からの把握そのものともなり、作家が、かれのスタイルによってこの世界と、そこに人間として生きることの全体を、再構成するにも至るだろう。小説の制作とは、まさにそのような言葉の、人間にたとえれば、肉体と意識とを、総ぐるみ蘇生させる行為でなければならず、また逆に言えば、そのような行為があって初めてこの文章こそが自分自身であり、自分自身を超えたところのものですらあると感じられるような、一見矛盾した構造物が──日本の私小説の伝統から自由に自分を解放するものとして──作家の手元に実現する。」522 「小説の文章の数行、数ページが、物質化されている、「もの」の手ごたえをそなえていることがありうるとするならば、まずはただその言葉を文字として書きつけているかれの、肉体の運動そのものによって、おおいに補完されているだけだろう。その言葉がそなえている実在感とは、その言葉が他者としてそれ自体にはっきり保有している、むこう側の実在感ではなくて、書いている人間の肉体=意識によって支えられた恰好の、こちら側がおおいにそこへはみだしている実在感なのだ。そのようなかたちでの実在感に頼ることなく、この小説の「現場」から、自分の肉体=意識が全面的にひきあげてしまった時にも依然としてそれ自体で充分に自立しえるものとして文章は書かれなければならない。言葉そのものが物質になるというよりも、言葉が(私はもちろん、それ以外の者の)肉体に対して「もの」以上に思考を強い、この世界に対して新たな知覚方法を起動させる端緒となる状態へと至らなければならない」525
  • ks
    ks
    @ksgmt
    2026年2月25日
  • 野手
    野手
    @wantspomera
    2026年1月9日
  • うどんニキ
    @demian333
    2025年12月31日
  • Ryu
    Ryu
    @dododokado
    2025年5月18日
  • Tamaki
    Tamaki
    @maki_fromthesea
    2025年3月24日
    明日の、面談のための準備。
  • hi-kik rude
    @highkickrude
    2025年3月19日
  • yoshi
    yoshi
    @yoshi
    2025年3月11日
  • べらぼうに遅々として読んでる 保坂論は2週目にしてなんとなく入ってきたと思う
  • デカい
  • 茅野
    茅野
    @mizuumis
    2024年4月8日
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