システムの非線形論理

5件の記録
ジクロロ@jirowcrew2026年5月24日読んでる竜巻や入道雲は、運動が作り出す外形的な形である。結晶化が進行したさいの結晶そのものは、結晶化のプロセスから、外に排除された産物である。プロセスそのものは活動態であるから直接見ることはできないが、プロセスから逸脱した結晶は、物として見ることができる。結晶化のプロセスから見れば、結晶そのものはプロセスから排除された物体であるので、比喩的に言えば、そのプロセスにとっての「糞」である。糞にも美しいものがある。真珠貝の真珠もプロセスから逸脱した糞である。 (p.83) 自分というモノを、両親の愛という「プロセス」から排除された「糞」と捉え直すと、不思議なことに晴れやかな気持ちになれる。 「糞にも美しいものがある」 生きるとは、「糞」が美しいものになろうとするプロセスに他ならない。

ジクロロ@jirowcrew2026年5月13日読んでるひとたび新たなプロセスが現存するようになれば、既存のさまざまなプロセスを巻き込み、再編が起きる。過去の記憶が別様に再編されることに似ており、運動の履歴が新たな運動のモードへと再編される。こうした再編をつうじて、自己組織化のプロセスは自分自身の由来を消してしまい、なぜそうした現実性が成立しているのかについて、由来から問うことができなくなる。この局面で自己組織化は、自分の由来を消してしまい、出現した変数は独立変数となり、それじたいとして完結した新たな現実性となる。 (p.67) そういったことを期待して、この本を読んでいる次第。
ジクロロ@jirowcrew2026年5月12日読んでるシステムを捉えるさいには、言葉をつうじて言葉の向こう側に触れていかなければならない。言葉をつうじて言葉の向こう側に触れるという仕方は、数学や物理学や論理学では自明のことであるが、システムの場合も、言葉を理解し、言葉で物事を捉えれば、ただちに誤ってしまう。言葉はシステムの一面を切り取るようにしてしか理解できない。 (p.47-48) 言葉は輪郭をつかさどる。 ならば、その輪郭の肌触りは間違いなく硬い。 「触れる」、システムの扱い方とはそのようなものなのかもしれない。 その輪郭は、ただ硬いのではなく、繊細であるからこその硬さであるということを。

