天路の旅人(下)

12件の記録
- Takaki Yamamoto@yama_taka2025年8月31日読み終わった第二次世界大戦末期から戦後にかけて、内モンゴルからチベット、そしてインドまで、最初は密偵として、のちに流浪の旅人として、八年にもわたる旅を続けた西川一三の足跡を辿ったノンフィクション。西川さんには遠く及ばないけれど、僕も似たような土地でしんどい思いをした経験はそれなりにあるので(苦笑)、身につまされるなあと思いながらも、楽しく読んだ。 特に旅の終盤、あらゆるしがらみから自由になり、一人でインドを放浪する西川さんの姿は、本当に幸福そうで、正直、少し羨ましく思えた。 「その最も低いところに在る生活を受け入れることができれば、失うことを恐れたり、階段を踏み外したり、坂を転げ落ちたりするのを心配することもない。なんと恵まれているのだろう、と西川は思った。」 一つ、気になる点を挙げるとしたら、この本で多用されている「ラマ教」や「ラマ僧」といった表記だろうか。こうした呼称は、もともと西洋の研究者がつけたもので、チベット仏教に対する偏見を招くとして、現在では使用されなくなっている。これからも長きにわたって読み継がれていくであろうこの作品で、こうした論議を呼ぶ表記が使われているのは、残念だ。ほかにも、細かい部分で「ん?」と感じた点がいくつかあって、全体的に校閲の力不足という印象は拭えなかった。
- MDR@MDR20252025年6月14日読んでるまだ読んでる@ 自宅「西川には、記念品を手に入れると言う発想はなかった。知らない土地に行きたいとは強く思う。だが、それは自分の目で確かめ、体で感じられれば良いので、その記念のものなどを必要ないのだ。」208ページ 物見遊山ではない主人公西川の心情だ。ブッタガヤを体で感じる、まさに仏(神)の根幹を体で感じたいという主人公の心情だろう。
- MDR@MDR20252025年6月14日読んでるまだ読んでる@ 自宅「西川の目から涙が流れてきた。そして、ああ、仏だ、初めて本当の仏の姿を見た、と思った。」257ページ やはり主人公西川が巡り会うのは仏であり、人に宿る神性だった。
- MDR@MDR20252025年6月14日読み終わった@ 自宅読み終わりました。私は個人的のこの西川一三という主人公の人柄が沢木さんを動かしたのではないかと思います。食わず嫌いだった沢木耕太郎さん、深夜特急を読んでみようと思いました。
- MDR@MDR20252025年6月12日読んでる@ 自宅「聖と言い、卑と言う。だが、聖の中にも卑はあり、卑の中にも聖は存在する。」これが主人公西川の大陸の感想。仏教国だから適切ではないかもしれないが、旅の中で相対する人に神性を見る主人公。この一文がこの旅の本質ではないだろうかと思われる。