巡礼者たち (新潮文庫 キ 12-1)

6件の記録
DN/HP@DN_HP2025年11月6日読んでるまだ読んでる短小説でなければ書けないことがある。何を語ろうとしているのか、何処へ向かっている物語なのかが読んでいる最中にはわからない短編小説というのがある。人生の一片をそのまま文章にしたような短編小説。そんななかでも(にこそ)感動や気づきが、喜びや不安、哀しみがあって、自分を省みたりもする。わたしの「知らなかったこと」も思ってみたりもする。そうこうしているうちにいつのまにか一編読み終っていたりして。 当然のように、人生のように、解決もしないし答えも出ない短い物語。それでも、そこに描かれていた自分とは離れた土地で送られるまったく違う人生が、それを描いた小説が、少しだけ分かったような気にもなっている。それをきっかけに、あるいはヒントにして、自分の人生を思い考え、少しだけ哀しくもなってくる。文庫本に指を挟んだまま、数分の時間が経っていたことに気がつく。ああ、と思いながら、哀しみと分からなさ、あと不安も感動が包み込んだようなため息をついて、こんな文章を書いてみる。 思いがけず短いスパンで訪れることになった父親の墓のある山の霊園のベンチにて。かわいい犬のピンと一緒に。もう随分肌寒くなってきた。


DN/HP@DN_HP2025年11月5日何度も読み返しているお気に入りの一編以外も毎晩少しずつ読み進めている。どれもせつなさがあって、でも読み終わると頬がほころんでいるような短編たち。とても素敵な短編集だと改めて思う。




DN/HP@DN_HP2025年11月2日再読中古本買い直したいつもお気に入りの一編(ブロンクス中央青果市場にて)ばかり読み返してしまうから、表題作も久しぶりに読んだのだけれど、めちゃくちゃ傑作だった。何も起きてないようにも思えるし、大きな変化もないかもしれないけれど、たしかにあった人生の特別な瞬間を描いた短編小説。 短編小説は長い人生の全てを描くのには向いてないかもしれないけれど、人生の一部分を切り取り大切に掬い上げ、そこにあった特別な一瞬を描くことが出来る。そして、その一瞬が人生の全てを表しているようにも感ることがある。そんな短編小説が好きですね。残りもゆっくり読もうと思う。



DN/HP@DN_HP2025年9月23日かつて読んだarchiveブロンクス閉店間際に棚から抜いたのは新潮クレスト・ブックスの方。帯の一文「短編小説でなければ書けないことがある。」に、おっと思って、裏表紙の文句読んで完全に頷きながらレジに向かった。 題名に惹かれて後ろの方に収録された一編「ブロンクス中央青果市場にて」から読み始める。腰椎の手術の療養中に組合の支部長に立候補しようと決心するアイリッシュ、現職はマフィアと関わりのあるイタリア系、市場でサバイヴする様々な民族、人々。キノコ男にプエルトリコ式のマンゴーの食べ方。ああ、ニューヨークだなと思う。意気込んだ選挙運動中にぶり返す腰痛と過去への回想のなか、56年型の青いクライスラーとともに辿り着く“ただひとつの結論”。 これもやっぱり読みたかった短編小説だった。「短編小説でなければ書けない」かどうかは分からないけれど、それが適している、それで書かれるべきものは確実にあって。たまに「魔法みたいな瞬間」とも言ったりするし、この本の裏表紙では「人生の一瞬」と書かれていたりと言い方はそれぞれにあるけれど、そういう人生の何気ないようで本当に特別な部分を切り取った短い話。そういう特別な瞬間が訪れると、理解する前に納得してしまうものなのだと思う。物語でも現実でも。 「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」やデニス・ジョンソン、デイヴィッド・ベニオフと短編と同じように素晴らしいし大好きだな、と思った。





