スマホ片手に文学入門
17件の記録
うき@uki-03102026年9月11日読み始めた@ 自宅読み始めて「はじめに」の4行目で既に作者が鼻につく( '盆')ウザッ 他にも読んでいるとちょくちょく上から目線的な文章が出でくるのが微妙に腹立つ。 せっかく面白い題材なのに、作者の嫌味な性格が文章から滲み出てきて、内容の良さを損なってる感じがものすごくもったいない。 このまま読み進められるだろうか… いや、読むけど。面白そうな題材なんだから。
犬山俊之@inuyamanihongo2026年9月4日買ったかつて読んだ2025年6月に他のSNSに書いた文章 ↓ 予備校の先生の本だし、帯にも「新時代の国語の教科書」とあり、自分も何かしら「勉強しよう」という心持ちで読み始めたのですが、おもしろくて楽しくてページをめくる手が止まりませんでした。「読み」のおもしろさ、「解釈」の醍醐味を体験させてくれる快著。「教えてくれる」なんて程度じゃなく、ダイナミックな「読み/解釈」の流れに放り込まれたような読後感でした。 第1章芥川龍之介『ピアノ』、第2章梶井基次郎『桜の樹の下には』、第3章宮沢賢治『やまなし』の3つ短編を小池先生と対話しながら読み進めるのですが、どれも何度でも読み直したくなりした。「読み直し」の楽しさ。 自分は『やまなし』が未読だったので、特に興味深く読むことができました。なるほど、最後の一文から、あのように読むのですね。 また、『桜の樹〜』は桜のイメージもさることながら、「独楽(こま)」についての描写がいいんだよなと思っていたところ、この部分にもちゃんと言及がありました。 ただ、残念なのは三章までしかないところ。まだ扱ってもらいたい作品はいくらでもあります。芥川の『蜜柑』とか小川未明の作品とか。強く続編希望です▼









あんどん書房@andn2026年4月26日読み終わった日頃あまりにも雰囲気で呼んでいるため、もう少しじっくり読めるようになりたいなと思う。 まずは芥川の短編「ピアノ」が全文掲載され、それを一文一文チェックしてゆく流れ。「藜」とか普通に読んでたら絶対調べないだろうな〜。 冒頭、震災の影響が残る山手で、秋雨に打たれる廃墟の描写。ここでかなり「暗」のイメージを描いた後で、「雨は幸ひにも上がってゐた。おまけに月も風立つた空に時々光を洩らしてゐた」の一文が来る。これは暗から明への転換と言えるのだが、しかし「月」には(竹取物語など古典に見られるように)不穏なイメージもある。ゆえに読み手は完全には安心しきれずに読み進めることになる…… というような、読み手が受け取る細かい印象について非常に細かく検討している。自分一人だったらこういう読み方は絶対にできないなと思う。 「桜の樹の下には」についても「あ〜、なんか生と死みたいな感じね」ぐらいの理解だったが、「水晶のような液」という表現がその醜と美との間の媒介者である、というような読みをされていて、なるほどねぇと思った。普通に読んだらただの露悪趣味にしか思えない汗が精液だのなんだの比喩も、生殖=花の美と気持ち悪さ両方を併せ持つ媒介的な性質を持つと読めるのではないか、と。こういう視点で読めると楽しめるタイプの作品だったんだな。 “よくわからない——けれども、何かしら魅力を感じてしまうような文章に出会った際には、まず、文章中から読み取れる〈対比〉の関係を探し出してみる。” (P160) 多分読みながら同時に考えるのは無理なので、やはり再読が大切なのだろう。 「やまなし」の章では最初に「幻燈」について、今でこそノスタルジックなイメージをしてしまうが、当時的にはまあまあ普通の教育的な装置だったはず(よって「やまなし」自体が何らかの教育的意図を持つのでは)という指摘があり、言われてみれば…と思った。時代性を踏まえて読むことがいかに難しいか。。 そして、この冒頭と最後の2文については更に深読みが試みられている。はじめの「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。」という文には主語がない一方で、最後の一文では「私の幻燈はこれでおしまいであります。」と、主語が「私」であることが明示されている。物語全体を〈認識の深化〉というコードで読み解くと、冒頭の一文ではまず「幻燈」を見せられる子どもたちを物語世界へと包摂した上で、最終的には「でもこれはあくまで私の幻燈ですよ」と世界から切断するのである。 ……ついつい「宮沢賢治、そこまで考えてるの…?」と思ってしまう。の、だが、小池さんはその考え方は危ういと警鐘を鳴らす。 “作者というのは、ただでさえ、読者に対して特権的な立ち位置にいるのです。そこに、作者還元主義的な読みの制度が絶対化されてしまったなら、〈上—作者/下—読者〉という権威主義的な位階が固定されてしまうことになります。” (P266-67) これはロラン・バルトのテクスト論を踏まえた見解らしい。その辺の小難しいことはよく分からないけれど、作者が絶対視されてしまうのは「著者の気持ちを考えよ」とか言いがちな国語教育が悪いんじゃないかな〜と思う。 ちょっとでも突飛な読みを試みると「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」みたいなミームが飛んでくるSNS社会、多様で開かれた解釈の大切さを痛感する。 本文書体:筑紫明朝、こぶりなゴシック、秀英丸ゴシック イラスト:usi 装幀・デザイン:室田潤(細山田デザイン事務所)

為田裕行@tamehiro2025年8月14日読み終わったスマホ片手に、Wikipediaやコトバンクを使いながら文学を読んでいきます。1人で読むというより、小池先生が導いてくれる感じで、学校の国語の授業を思い出します。









