二十六人の男と一人の女 ゴーリキー傑作選
4件の記録
ni@nininice2026年9月30日読み終わった以前読んだオデッサの港についての紀行文に、この本載っている短編「チェルカッシ」が引用されていた。とても印象的で、いつか読もうと思っていたのをようやく手に取ることができた。ゴーリキーの作品を読むのは初めて。 「チェルカッシ」 読了後、心が顫えてしばらく動けなくなった。 「人間は自分が作ったものの奴隷と化していて、誰が誰だか見分けがつかない。 あたりのすべてが張りつめ、耐えきれずに、何か巨大な破局の、爆発の気配を漂わせている。 破局が訪れた後には、清められた空気をのびのびと、かろやかに呼吸できるようになるだろう。大地には静寂が満ちるだろう。」 冒頭は薄暗い空気が漂い、ゴミに汚れた波が打ち寄せ、小さな人間に冷たい視線が向けられている。巨大な機械や船の存在感に圧倒される。そこへ、主人公チェルカッシが登場する。彼は手慣れた泥棒だ。 無帽に裸足、古い擦り切れたコーデュロイのズボン、更紗の汚れた上着を着ている。襟は千切れている。日焼けした乾いた肌、太い骨、白髪混じりの黒髪、栗色の長い口髭、ひょろりと背が高く、骨ばっていて、少し猫背。鉤鼻。長くがっしりした指、草原の猛禽類のよう。 粗暴な泥棒なのだが、とても魅力的な男だった。彼と出会ったばかりのガヴリーラという若者のたった一夜の物語。 ガヴリーラは、粗末な木綿の上着とズボン、木皮のサンダル、ニンジン色の帽子。ずんぐりとした体格で、肩幅は広い。髪は赤く、日焼けした顔、青い大きな目、頑丈そうな腕。 年配のチェルカッシの色褪せた灰色の印象に比べ若者ガヴリーラは鮮やかだ。出会ったばかりの二人だが、チェルカッシが妙に他人との距離が近く、横暴だが面倒見も悪くないことが彼らの交流を読むとよくわかる。師弟のような、叔父と甥のような雰囲気を感じた。 二人は深夜海上に出て一仕事を働く。緊張感漂う中で、海の描写が素晴らしかった。しかし、なんと言っても物語を通して一番印象的だったのは、彼らの別れの場面。 チェルカッシは稼ぎの中から四十ルーブリ(これがどのくらいの価値かはわからないけれど)をガヴリーラに渡し、別れようとする。しかしガヴリーラはもじもじし、顔を赤くしたり灰色にしたり、何かに苛まれていて動かない。それを見てチェルカッシは言う。 「俺に惚れでもしたのか?娘っこみたいにもじもじしやがって!俺との別れがやりきれないとでも言うつもりか?ええ、このガキめ、何か言え、さもないと俺はもう行くぞ」 「行ってしまうのかい?」ガヴリーラがよく通る声で叫んだ。 その声で、人けない砂浜がふるえた。まるで海の波が黄色い砂を揺するときのようだった。チェルカッシも身震いしたが、ガヴリーラは急にチェルカッシの足元に身を投げ出し、その足を両手で抱きしめ、自分の方に引き寄せた。チェルカッシは足をとられてよろめき、砂の上にどさりと尻もちをついた。(p.157) この時、読みながら妙な気恥ずかしさと暖かさを感じていた。ニコニコしていたかもしれない。横暴でがさつなチェルカッシはこの時確かにガヴリーラと別れ難いと感じていたのだ。なんて素直で無防備であどけない柔らかな心だろう。それがふと表にでてしまった。無意識のうちに。これはチェルカッシの期待なのだ。この泥棒に、こんな可愛い側面があるなんて。工業化の進む薄汚い港で、今にも雨が降りそうな空の下、あのチェルカッシのこんな柔らかな心に触れることになるなど、全く予期していなかった。 勿論ガヴリーラがもじもじしていたのはそんな理由ではなく、期待は裏切られ、二人は互いに傷つけ合い、別れる。しかし結末がどうであれ、この瞬間のチェルカッシの心は確かに期待し喜んでいたのだ。こんな美しい瞬間を読みたくて、わたしは読書を続けているのだと改めて感じている。 物語の最後は、雨と波に流されて、海岸にはもはや人けもない。冒頭の港に漂っていた爆発と破局の気配は、このようにたった二人の人間の間に訪れ、確かにその後には静寂。 「二人の人間のあいだで演じられた小さなドラマを思わせるものは、もう何一つ残っていなかった」 読了後、結末のやるせなさがより一層チェルカッシの一瞬の柔らかな心を輝かせていると感じた。全体的に圧迫感のある機械や船、夜、海、雲など大きなものに囲まれているのだが、泥棒のほんの一瞬の心の現れがその全てを凌駕していた。なんてロマン的な作品だと、胸がいっぱいになった。
ジクロロ@jirowcrew2026年4月22日読んでる自分の人生で一番かけがえのないものが、精神や身体の病であるという人間がいる。 彼らは生きているあいだ、ずっと病とともにあり、病によって生きているのだ。病に苦しみながら病によって自分を養い、病の苦しみを話すことで近しい人たちの注意をひきつけている。病によって他人から自分への共感を引き出しているのだが、その他には何も持ってはいないのだ。こうした人間は、治療して病が取り除かれると、ふしあわせになる。生きるための唯一の糧を失うからだ。空っぽになってしまうのである。自分の不健康を誇り、それによって生きるほかないような、みじめな人生というものもままあるのだ。毎日が単調でわびしいというだけで、人間がダメになってしまうことも少なくないのである。 (『二十六人と一人の女ーポエムー』) その身体にふさわしい場所(ありか)。 それを「宿命」と呼ぶのかもしれない。 身体から何も生成しなくなれば、 自らの沈黙または罵倒により、または それらの内面化により、より身体が汚れてしまう。 これがゴーリキーの悲しくも美しいリアリズムではないかと思えてならない。 「生きるための糧」が「唯一」であれば、それがなんであれしがみつきたくなるというのは、ある意味で人間の美徳ではないか。
CandidE@candide_jp2025年8月28日読み終わった底辺の質感、自尊心とプライドのマグマ溜まり、瞬時に反転する不条理、そしてその余韻。めっちゃいい。沁みるわー。 本書に収められているは、『二十六人の男と一人の女―ポエム―』『グービン』『チェルカッシ』『女』の四篇。どれも実にいい。貧しさのもとで人々は傷つけ合い、辱め合い、慰め合う。その触れ合いは、人生の温度差と気圧差の折衝である。心ならずも心地よい風とかまいたちを、同時に起こしうる。 結論として、以下の抜粋を引用したい。 『「ああ神よ、みんなかわいそうです。すべての人生、すべての人間、すべてがかわいそうです、父なる神よ……」 悲しげにすすり泣きながら、女はそうつぶやいた。その肩が震えていた。 「こんな夜中に、これまで見てきたことのすべて、出会ってきた人みんなを思い出すとね、つらくなるんだ。大地いっぱいに叫びたくなるんだけど、何を叫べばいいか、わからないのさ。何一つ言うことがないんだ」 それは私自身にも経験のあることで、よくわかった。私の心もまた、この女の言うような、言葉にならない叫びに圧しつけられていたのである。』 ーー『女』より
