啓蒙の弁証法

9件の記録
- Ryota@ausryota2025年5月17日読みたい哲学が重箱の隅を突く、小さな専門コーナーに成り下がると、社会への有効な批判力を持ち得ず、滑稽な遊びとして馬鹿にされる。役に立たない御高説、学者たちの遊び、もしくは、深淵を気取る自己探究か。哲学はどれでもない。社会にとって無害な趣味ではなく、社会の最も痛いところを突いてくる、現実変革のための批判である。輩の余興に成り下がったままに哲学をさせておくな、とアドルノは迫る。ぜひ読みたい。
- 🐧@penguiiiiin_042025年3月19日読み終わった第四章 八 ひとまず終了。この章に関しては期待はずれというか古臭いという印象が第一。ただ自分の嫌いな音楽や映画の悪口を言ってるんやと考えると、的を射ているような気もする。この正しいんやけども…というアンビバレントな感想を持ってしまうのがこの本だとつくづく思う。
- 🐧@penguiiiiin_042025年3月12日第四章 七 とりあえず第四章を読み終えたら、この本は終わりにしよう。言いたいことは概ね分かったし、その上あまり自分に合わず、有用でもないこともわかってきた。
- 🐧@penguiiiiin_042025年3月12日読んでる第四章 四 翻訳に引っかかったとはいえ、6ページで40分。 p218 l4,5の文は「芸術が、それに固有の形式法則から純粋に自己を展開するために、労働に身を置けば置くほど、ますます芸術はその重荷を否定しようとしたはずの当の労働を、またしても知性に要求することになる。」くらいの訳がいいのでは。
- 🐧@penguiiiiin_042025年3月10日読んでる第四章 六 文化産業が悲劇を必要とするのはわかる。とはいえ、悲劇のその(オイディプス王で言うところの)運命や(オデュッセイアで言うところの)神に隷属することが、文化産業にとって必然だというのはなんだか。やっぱりフロムの言う事の方が腑に落ちる。