

Ryota
@ausryota
ウィーンで哲学をやっています🦩
- 2025年8月18日
- 2025年8月18日
- 2025年8月15日メルロ=ポンティ 可逆性鷲田清一読んでる身体性があなたの人生において果たした役割とは何か?というエッセイを書かなくてはいけなくなり、慌てて読んだのだが、鷲田清一のメルロ=ポンティを読む手捌きに惚れ惚れする。 メルロ=ポンティ、とんでもないな。哲学者って、どっひゃ〜!っていう世界をみる真摯さみたいなものがあって、こと身体に関しては、メルポンに度肝抜かれた。いまだに意味がよくわかってないのだが、世界が昨日とは違って見えてくる。
- 2025年8月13日生の短さについて 他二篇セネカ,大西英文読んでるざっくり言うと、時間を大切に、外部や他の誰かへ簡単に譲り渡すことなく、自分の生を存分に味わって生きよう、ということなのだけど、セネカ先生の文章は切れ味が鋭くて気持ちがいい。 おかげで、失礼な人のメールをきっぱりと断り、毒のある人間関係も距離を置くことができた。やさしいだけでは、本当に大切にしたいことを大事にできない。
- 2025年7月28日世界の手触り佐藤知久ほかじゅうぶん読んだ鷲田の対談のところだけ読んだ。 1現象学っておもしろい 自分を外した、客観的な目線、上空飛翔的な目線じゃなしに、内側から探していこうとする。ぐらぐらと地盤が揺れながら、でも「このわたし」が見たり、聞いたり、感じたりしているところを頼りに探そうとする。現象学っておもしろい。 2生成 たまたまの下地の黄色から、色を塗り、筆を走らせ、絵の具をのせて、絵を生成する。人間も偶然から始まるんだけど、生成は理解可能だったりする。 3ことばのきめ テクストとしてのことばとテクスチャーとしてのことはがある。そうだな、と思った。聞かなくても伝わる、聞くとほっとする、聞いてもらえてる感じがしない、など。俺もテクスチャーを聞けるようになりたい。 4臨床哲学 鷲田は生活の場に赴くことを臨床として重視した。果たしてそうだろうか。外部の人間じゃなく、ともに生きる仲間として関わる方がよほど重要じゃないかと思う。インタビュアーで哲学ができるとは思えない。
- 2025年7月25日
- 2025年7月25日
- 2025年7月17日ニコマコス倫理学(下)アリストテレス,渡辺邦夫読んでるフロネーシス(思慮深さ)について知りたくて読んだのだが、おもろすぎて、上巻から読み直している。 アリストテレスとんでもないな、というのが第一印象。どこまであなたの思想は奥行きのあるものなんでしょうね、と美しい論理の運び方にため息が出る。素晴らしい筆致、訳者に感謝。ギリシャ語の概念は、真理、幸福、愛、日常的に使われる曖昧な言葉のオルタナティブを提示してくれる。え、そうじゃないのも全然あり得たのね、と目から鱗が落ちる。 哲学への入門として、ソクラテスの弁明とかクリトンとか、対話篇を読んでほえ〜となったら、ニコマコス倫理学で体系を見るのが黄金ルートだと思う。 自分の経験を照らし合わすことで完成する本。生きれば生きるほど、アリストテレスに近づけるとも言える。
- 2025年7月17日
- 2025年7月17日「聴く」ことの力鷲田清一読み終わった臨床哲学に足を踏み入れるための入門書/研究書のような本。哲学の使い方が門だとすると、門のなかの境内をじぐざく、ぐねぐねと案内してくれる。 俺がやりたい哲学相談のエッセンスもだいたいここに書いてある。ドイツで哲学プラクティスを始めたアッヘンバッハと鷲田が、はるか前を歩いていることの心強さといったら、ほんとうにありがたい。
- 2025年7月17日哲学の使い方鷲田清一読んでる鷲田清一が日本にいてくれてよかった。哲学プラクティスを日本で始めた人がいるという、世代的幸運。哲学プラクティスの入門書として、これ以上のものはそうそう出てこないと思われる。
- 2025年7月17日ノルウェイの森 (講談社文庫)村上春樹読んでるドイツ語版をうきうき読み始めた。クリムトの栞が嬉しい。さっそく6分の1くらい水没して幸先わるめ。会話はありがたいのだが、井戸が出てくると急にわかんなくなる。
- 2025年7月9日ニーチェジル・ドゥルーズ,湯浅博雄読んでる「ニヒリズムは生成を、罪を償わねばならないなにものか、そして〈存在〉のうちへと吸収され、解消されるべきなにものかとみなしている。また多数性を、なにか不当なもの、裁かれるべきもの、そして〈一なるもの〉のうちへ吸収・解消されるべきものとしてみなしている。」 〈存在〉より生成を、〈一なるもの〉より多数性を重んじるドゥルーズならではの、きらりと光るニーチェ解釈。ドゥルーズは決して、固定的・静的な〈私〉に自分を押し込めない。いまここでぽこぽこ作られるような、生き生きしたわたし。生き生きしたわたしは、その場と関係に伴って、複数存在することになる。 この生成と多数性というドゥルーズのキーワードは、和辻の間柄、平野の分人とも響き合うものがある。
- 2025年7月2日血の轍(1)押見修造じゅうぶん読んだ毒親が主題なのだが、怖かった。一人で読んではいけない。 作品自体が精緻に作り込まれており、作者の実体験なしにここまでは書けないだろうと思わされるほど。恐らく、作者は自ら体験した世界の延長に、我々を引き摺り込もうとしている。筋書き、キャラクター、描写、すべてが輪をかけて怖いのだが、これは完全なフィクションではないのだと予感させる恐怖もある。 この類稀な怖さ、そして誰もが一瞬にして直感するような母の「異常さ」が何なのかは興味深い。また、母の黒さにかすんで見えづらいが、従姉妹の家族にもどこかぞわりとする「異常さ」がある。
- 2025年6月16日
- 2025年5月17日啓蒙の弁証法M.ホルクハイマー,T.W.アドルノ,徳永恂読みたい哲学が重箱の隅を突く、小さな専門コーナーに成り下がると、社会への有効な批判力を持ち得ず、滑稽な遊びとして馬鹿にされる。役に立たない御高説、学者たちの遊び、もしくは、深淵を気取る自己探究か。哲学はどれでもない。社会にとって無害な趣味ではなく、社会の最も痛いところを突いてくる、現実変革のための批判である。輩の余興に成り下がったままに哲学をさせておくな、とアドルノは迫る。ぜひ読みたい。
- 2025年5月14日
- 2025年5月14日
- 2025年5月12日
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