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七瀬由惟/Yui Nanase/あーしぇ
七瀬由惟/Yui Nanase/あーしぇ
七瀬由惟/Yui Nanase/あーしぇ
@ashe_dalmasca
本のメモです。 青空⬇️は近況とか。
  • 2025年8月25日
    ラテン語の世界史
  • 2025年8月25日
  • 2025年8月25日
    SFマガジン 2025年 10月号
    早川書房よりS-Fマガジン2025年10月号を御恵贈いただきました!ありがとうございます! ホラーSF特集。近畿地方も右園もまだ未読なのであった…。秋からフィクション読み、復活させるぞ〜⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
    SFマガジン 2025年 10月号
  • 2025年8月24日
    斜め論
    斜め論
    精神病理学の現在がコンパクトにわかる、そして心のケアへの考えかたにパラダイムシフトをもたらす良書。おもしろくて読みやすく、あっという間に読了。 水平的な拡がりやピアサポート的なものが患者の支えとなることは、いままで読んできたさまざまな実践にかんする報告や本からなんとなくは理解していたのですが、そもそも、横に出られず上へ上へと「思い上がる」ところに統合失調が発症する隙間があるのか。下へ下へと深掘りすることも垂直性という点では同じなのか。なるほど。厨二病への解像度も爆上がりした。 ただ水平、横並びではなく、横への拡がりを担保されたちょっとした垂直性、つまり斜め上への空間的な動きが必要な理由もわかってきた。 最初は障害受容の螺旋モデルをふと思い浮かべたが、そうではなかった。むしろ、チェスでのポーンの動きに似ている気がする。はじめは思い上がってえいっと2マス前へ進む垂直方向への動き、いよいよ相手の駒のまえで動けなくなるまで1マスずつ登りつづける。そんなとき、斜め前の相手の駒を取ることで道が広がる。斜めへ出ていく勇気は、しかし上だけを見ていては湧いてこない。左右見渡す心の余裕とそちらへ一歩踏み出すための支えが重要なのだ。
  • 2025年8月23日
    斜め論
    斜め論
  • 2025年8月23日
    霊性の日本思想
    霊性の日本思想
    王権(権力側)と神仏の関係から日本思想史を大伝統、中伝統、小伝統にわける方法論は、そこに歴史のなんらかの断絶や跳躍があるとみる考えかたのように最初は思えたのだけれど、霊性をひとつの軸として考えると、この分類はゆるやかに変化を遂げる日本人の考えかたをうまく表していると、思えるようになった。 本書後半の第二部は、近現代日本の個別のイシュー(憲法とか、カルトとか)を取り上げているので、いわゆる霊性とよばれるものはやや見えにくくなってしまう。果たしてこののち、日本は、ミクロ伝統とか、ナノ伝統とか、さらに目には見えない伝統へと(それは伝統というのか)、突き進んで行くのだろうか。スピ全盛のこの時代だからこそ、霊性を語る際には微視的にならないほうがよいように感じる。 あと単純に末木文美士「日本思想」vs.納富信留「日本哲学」を新書で読んでみたい。
  • 2025年8月21日
    スネーク・ピープル
  • 2025年8月21日
    シン・アナキズム
  • 2025年8月21日
    アンドロイドは電気羊の夢を見るか?〔Deluxe Edition〕
  • 2025年8月21日
    ニューロマンサー〔新版〕
    ニューロマンサー〔新版〕
  • 2025年8月14日
    霊性の日本思想
    霊性の日本思想
  • 2025年8月14日
    平和の条件
    平和の条件
    E.H.カーといえば、個人的には、歴史とは何か、そしてソヴィエト・ロシア史なのですが、平和の条件は初読。文庫で読めるのはありがたい。 第二次大戦中に書かれた戦後構想。イギリスの、ヨーロッパ、そして世界における立ち位置がよくわかる。 戦後秩序の構築において欧州への無関心や距離の取りようへ釘を刺す。ブレグジットに揺れる英国をはるか以前から予言していたかのようで、慧眼としかいいようがない。 いままさに「古き良き」時代に固執するジンゴイズムの萌芽がみられる現代日本には、カーが指し示す道徳観が必要な気がする。
  • 2025年8月8日
    メルヒオール・ドロンテの転生
    メルヒオール・ドロンテの転生
  • 2025年8月8日
  • 2025年8月8日
    ジャポニスム
    ジャポニスム
  • 2025年8月7日
    斜め論
    斜め論
  • 2025年8月7日
    形而上学とは何か
  • 2025年8月7日
  • 2025年8月6日
    平和の条件
    平和の条件
  • 2025年7月31日
    自由と理性
    自由と理性
    道徳的な言明、判断は、普遍化可能性とその指図性にあるとする論証がきわめて論理的に示され、突っ込みどころも事前に封鎖されるという念の入れよう。ヘアの明解な論理になるほどと思いつつ、でもこれは理想論だよなあ、とも思う。 他者の立場にたって物事を思い致すことができるか、慮ることができるか、自分のこととして考えられるか、本書で取り上げられる道徳哲学って、なんだかそれに尽きる気がする。 身近なところに落とし込むと、今回の選挙で橙色のひとたち(とその支援者)は、本書のいう狂信主義者にすらなれていない、話の通じないひとたちであることがあらためてわかる。本作が書かれた1963年から60年以上経つのに進歩がない人類って⋯。そしてそういう人たちはこの本を読むことはないのだろう。 ちなみに、ちくまプリマー新書の8月の新刊、石田光規『自己決定の落とし穴』なども関連していそうで、ちょっと気になる。
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