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@graytescape
  • 2026年3月27日
    劇場という名の星座
  • 2026年3月14日
    夜と霧
    夜と霧
    このスペースを長文を書く場所として使って良いのかは未だよくわかってないけど、書いてしまいます。とても長いです。 いつか読まなければとずっと思っていたものの、心の弱さゆえに手に取る勇気がなく、でも好きな俳優が自分に影響を与えた名著として挙げ、彼が主人公を演じる舞台との共通点にも絡めて紹介されていたので、今だ、と思い一気に読んだ。 ホロコーストの最大の悲劇として誰もが知るような、強制収容所内の選別で淘汰された方々がガス室へ向かう行末を綴るというよりも、淘汰されずに、でも劣悪な環境の中で労働力として酷使され、それでも人間関係を築いて、命の灯火を絶やさなかった筆者の心情を、心理学者の立場から描写する本作。飢餓や病気と隣り合わせの状態において、思考の自由は誰にも奪えないという心強さを教えてもらえると共に、とはいえ劣悪な環境は時には思考の自由すら奪うのだということを嫌というほど理解させられた。 虐げる者/虐げられる者の関係は歴史の教科書で学んだとおりだけど、被収容者同士の人間関係、著者とは対の存在となる収容所監視者の心情までを分析する思考の深さはとても読み応えがある。収容所監視者/被収容者の2種類で関係者を分けるのではなく、この世の人間は「まともな人間」と「まともではない人間」に分けられ、両者は収容所/被収容者のどちらにもいるし、この2種類にいるだけでなく何処にでもいるのだという分析には思わず鳥肌が立った。 「第二段階」の後半、収容所から解放された直後まで時系列を進めてから綴られる心理状況の怒涛の分析が凄まじく、自身の収容体験を心理学的観点から振り返ることで、人間や人生についてこんなに深く掘り下げられた名文に、自分の知らなかった価値観を得られたことは大きな読書経験となった。今を生きる自分にも重ねてしまうほどで、名著だと言われる理由がとてもよくわかった。 ただ、生と死は紙一重であり、著者が何度も死線を潜り抜けるほど運が良かったというのは、精神論では語れないものだと思う。収容所から解放された時にトラックに乗らなかった(乗りたかったけど人数的に乗れなかった)こと、乗った人と乗らなかった人とで生死が分かれたこと。そのトラックの行く末で起きた出来事は、戦争なんて大義名分をかざすことすらおかしい、虐殺、紛れもない殺人だと思ってしまい、個人的にここが一番辛く、しばらくこのショックは拭えないと思う。ただ、著者のその運の強さが精神論で語れないものの、偶然の連続だったからこそ、「(収容所から)抜け出せるせかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。」という言葉がとても重く残ると共に、人生とは何を指すのか、苦しみも含めて人生であることも教えてくれた。 解放されても、収容所内で夢見ていた幸せは待っていなかったこと、不幸せへの心構えはほとんどできていなかったことも、こんなに虚しいことがあるかと現実を突きつけられて落ち込んでしまった。ただ、「それでも精神医をめげさせることはできない。」という言葉には勇気づけられた。 旧訳と新訳をそれぞれ担当されたお二人の後書きは、これがヨーロッパで起きたこととはいえ過去に我が国にも存在したことを明示し、未来への警鐘を鳴らすもの。著者が「ユダヤ人」という言葉を旧訳時点では登場させなかった、新訳時点でも2箇所だけだと、新訳を担当された池田さんが記していたけど、収容者された方々は人種だけで限定されたものではない、一人ひとりの人間が尊厳を奪われたのだという歴史の事実を残してくれたことも意識した上で、2026年3月の今、数年前に始まった二つの戦争は終わりを迎えていないこと、新たな武力行使が始まったこと、やり場のない不安や憤りを抱えながら世界に目を向けると共に、自分事として我が国に生きる1人の人間として考えていかないといけない、痛覚を忘れてはいけないということを改めて強く考えた。目を背けずに、手を止めずに、ページを巡り続けてよかった。
  • 2026年2月21日
    大地の子 二
    大地の子 二
    陸一心だけでなく色んな登場人物の視点で物語を追う構成が秀逸だなと改めて思ったりしたし、実の父親と仕事の現場で再会するなんてあまりにも劇的。松本耕次は実の息子と再会しても、幼少期の面影もなければ名乗る名前も違うしでこんなにも気づかないものなのか、これも戦争が残した瑕なのだなと。再会した陸一心と趙丹青が互いに「思い知らせてやる」という敵対感情を抱くのが妙に人間らしくて、骨太の小説に恋の愛憎が絡む描写として面白かった。
  • 2026年1月25日
    大地の子 一
    大地の子 一
    舞台化されることをきっかけに原作を読み始めた、ドラマ未見勢です。(内容のネタバレあります⚠️) 陸一心を巡る辛い運命を追い始め、文化大革命、終戦期から幼少期までの回想、労働改造所、と時系列や舞台を行き来しながらも凄惨な描写が続くので、冒頭で覚えた痛覚が徐々に麻痺していく感覚もあり、ソ連兵による虐殺や、長春から脱出するための真空地帯で餓死した人間が転がる描写を経て、死体を見ても驚かなくなる一心を追体験しているような恐ろしさすらあった。 「これが戦争だ」と受け止めざるを得ないからこそ麻痺していた感覚が、真空地帯や労働改造所での描写を目の当たりにすると「これが極限状態に置かれた人間だ」というやるせない気持ちが新たに湧いてくるし、己の想像力が嫌になるほど掻き立てられる文章力によって描写が浮き上がるような冒頭の文化大革命での痛ましい尋問がどれだけ理不尽なものであるか、その虚しさが他のシーンを経てより一層強まる構成は凄まじく巧い。 陸一心に手を差し伸べる陸徳志も袁力本も江月梅も、親が殺され孤児となった日本人の子供達を自国の仇として人権を奪うような周囲と一線を隠して接する、その人間としての魂の崇高さこそ、この物語に救いを与える灯台のような位置付けで、命がいくつあっても足りないような修羅場を何度も潜り抜けながら生き続ける一心の精神力を照らしている。一心が労働改造所でとらわれている中、一心も徳志も、それぞれの立場ゆえにお互いに更なる危害が及ぶのではないかと危惧する状況も、互いが人格者であるからこそ苦しい。忌むべき存在である日本人である自分を育ててくれたから。長春を脱出する前に日本に帰りたがっていた一心を、たとえ留まっていたら命はなかったとはいえ無理矢理連れてきてここまで育ててしまったから。でもその関係性は、血は繋がらずとも確かに親子であることの証なのだなと思う。 個人的に最もショックだった描写は、真空地帯で徳志が他人から強奪した大豆を一心に「どうだ、美味いだろう」と食べさせるシーン。そこまでしないと生きられない、餓死が隣り合わせであるという現実、皆から尊敬されている徳志でさえもそういう手段を選ばざるを得ない状況の極限さ、そしてそうまでしても家族を助けたいという愛。こんなにも虚しいことってない。あと狙った構成ではないかもしれないけど、労働改造所での羊飼いの業務の中で羊を解体する一心の描写が、日本人の死体から衣服や金目のものを剥ぎ取るソ連兵と重なってしまい、言いようのない苦しさを覚えた。
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