

きき
@hoo_shyahng
- 2025年6月20日国宝 下 花道篇吉田修一読み終わった芸術とは孤独なものですね。私は絵を描くことが好きだから、自分の望むものと他人に評価される絵の違いに目眩がすることがあります。それはどちらもアリな道なのですけれど、芸術の本質を見ようとすれば間違いなく前者の道を選ぶようになります。だけれど、それは悲しい気持ちになるんです。そんなフツウな自分にすら苛立ちを覚えることもあります。私には純粋で真っ直ぐな芸術を望むこころがないのだと呆れてしまいます。それに対して喜久雄は歌舞伎という芸術しか見えていないのです。その姿が眩しくて羨ましくて嫉妬すら覚えてしまいます。しかしそれは傍からみるとこんなに儚く危ういのですね。私はこんな風には生きれないと思わされました。これは悔しさでもあり安堵でもあります。
- 2025年6月17日
- 2025年6月17日国宝 上 青春篇吉田修一映画の熱が冷めないので原作もよむ。 歌舞伎に明るくないどころか真っ暗なので、(写楽が描くような人達がよぉ〜っ!と言う、ぐらいの認識)映画が先で良かったとおもう。そうでなければ、歌舞伎の“美しさ”がわからないままで、単なる人間劇としか読めなかったはず。 小説ではより喜久雄の歌舞伎に対する真っ直ぐなきもちを感じたが故に正当に扱われないことが辛かった。映画は歌舞伎にしか居場所がないからこそ、逃げ出せもしない息苦しさを感じていたので、苦しいのは変わりないがまた抱く感情が違かった。どちらにしてもしんどいです。 興味をもった演目もあったからみてみたい。そして何より実際に歌舞伎座に足を運びたい。映画ももう一度は観にいきたい。この勢いで後半もよむ。
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