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@immoue
  • 2025年3月24日
    世界99 上
    世界99 上
    毎日少しずつ読み進めて、第一章を読み終えた。20歳。ラロロリン人の感動ポルノ。ピョコルンへの性的暴行。歴代の20人もの彼氏へと無感動の献身。「「感動」を嗅ぎつける人間の嗅覚はなぜこんなに鋭いのだろう。命には関係のない欲望なのに、とても浅ましく見つけ出してしゃぶり、とことんまで味わおうとする。けれど、安全な場所から感動するのがとても心地よいのは、私にも理解できた」(205頁)。ついつい引用したくなってしまうようなキラーフレーズの氾濫に若干辟易としてきたのも事実。性が主題のひとつとなっていた思春期から若年期を終えて、第二章からどう物語を捻転させていくのか。このまま最後まで続くようならちょっとしんどいかも。その切れ味のするどさは短編くらいでちょうどいいと思ってしまいそうである。
  • 2025年3月20日
    世界99 上
    世界99 上
    12歳と14歳の章を読んだ。ひとりの少女がさまざまな共同体のなかで自身が傷つかずに済むように、女として世界に媚びることを学んでいくくだり。痴漢。いじめ。性的搾取。自殺。かなりしんどい描写がつづくが、これは彼女にとっては始まりにすぎないと予感させるのがもっときつい。「白鳥さんがあまりに私の望む通りの答えを返すので、私は、彼女も「人間ロボット」だったのではないか、と思った。その想像は私のこわばりを微かにやわらげた。」(72頁)「肌の表面に視線を滑らせ、口を開ける。黄色い歯が並んでいるのが見えた瞬間、見えない暴力がお兄さんの中で蠢いているのを感じ取った。あ、私を傷付けるためだけに言葉を発しようとしている、と瞬間的に察知した。」(86頁)「私は思わず笑ってしまった。私達はこの瞬間、全員がそれぞれの世界に媚びていた。この騒ぎを機に教室での立場をマシにしようとする子、気がつかないふりをする子、困った顔で男子にも女子にも悪く思われないようにする子。これは世界に媚びるための祭りなのだった。媚びている「世界」が人によってすこし違うというだけで。」(101頁)。ピョコルン、ラロロリン人、クリーンタウン。この小説のSFめいた世界観が、やや行き過ぎたカリカチュアの描写に妥当性をあたえている。ここに書かれているのはわたしたちのよく知っている日本社会の病理そのものだという感覚を追認しては寒気が走る。戯画化されているとはいえ、上に引いたような何でもない微細な描写の数々に、作家の底知れぬ恐ろしさが見え隠れする。さきの箇所にもあったが、母の歯間に挟まってるハンバーグとか、ちょっとした口部をめぐる描写が異様にグロテスクで頭に残る。さて、この少女はこれからどんな大人になるのだろう。
  • 2025年3月18日
    世界99 上
    世界99 上
    今朝から村田沙耶香の新作巨編を読みはじめた。上下巻で八百ページ超というヴォリュームに慄いていたが、読みはじめてみるとあっという間に頁が繰られている。クリーン・タウンの家族のもとで暮らす、からっぽな女の子のひとり語り。他人に同調しては「トレース」を試み、分裂を繰り返して波風を立てずにやり過ごす。誰からも愛されているペットの「ピョコルン」を愛しているふりをする。このクリーン・タウンのような設定は『信仰』に収められた短編にもあったなと思いだす。あの物語はやがて向こう側の雑多な町に出かけて現実に直面するとても怖い小説だった。この物語はどう展開されていくだろう。60頁ほど。
  • 2025年3月12日
    ジーノの家 (文春文庫 う 30-1)
    ウンブリア旅行のお供に。現代のイタリアに生きる素朴な人びとをめぐる短編小説のようなエッセイが10篇。早朝のバールで出会った警察官から教えられたミラノの暗やみ。北斎の生まれ変わりだという天啓を得たリグリアの老いた画家と奇妙なイタリア語を喋る日本人の老女。ミラノ郊外の田舎で繰り広げられるダンスホール。アパートの火事さわぎをきっかけに絆を深める住人たちの集い。インペリアの丘の上にしがみつくようにしてある家での暮らし。誘拐された犬の身代金をめぐって仲間たちで交わされる談義。シチリア島のサボテン農家たちの暮らし。ぼったくりタクシー運転手とめぐるナポリ、心づけのコーヒー。ジェノヴァに逢着したペルーからの大家族との暮らし。セストリの海岸に打ち棄てられた古舟に取り憑かれた老人を弔う儀式。異国に暮らしている身としては嫉妬を憶えてしまうほど強度のあるエピソードの数々に魅惑されっぱなし。どうしたら彼女のように身軽で、世界にたいしてひらかれていられるのだろうと、自分の変わり映えのしない逗留生活をおもわず恥じてしまう。あるいはイタリアという土地がもつ魔力なのだろうか。
  • 2025年3月11日
    トリニティ、トリニティ、トリニティ
    震災から14年の月日が経過した日に。わたしたちがコロナ禍を生きるまえに書かれたものだが、時代を乗り越えることができなかった作品だという印象がどこまでいっても拭えなかった。五輪に放射能にサイバーセックスに母娘。構えは立派だが、テクストとしては敗北を喫している。登場人物たちがかつてあった現実を生きている感覚がまったく感じられなかった。はたして刊行当時に読んでいたら感想はちがっただろうか。
  • 2025年3月10日
    芸術家列伝1 ジョット、マザッチョほか (白水Uブックス)
    芸術家列伝1 ジョット、マザッチョほか (白水Uブックス)
    チマブーエとジョットの作品がもっと見たくてアッシジへ。聖フランチェスコの巡礼の旅。その帰りにまずはチマブーエとジョットの章を読む。16世紀からまなざす14世紀。現代からすればその距離感は掴みにくいのだが、ヴァザーリからすれば200年前の伝説的な人物の評伝を書いていることになる。事実誤認などは多いものの、ひじょうに野心的な、きわめて重要な書物であることはわかる(時代に即して啓蒙的、といったほうがいいかもしれない)。ヴァザーリがビザンティン美術を毛嫌いしていたことやジョットの天才を徹底的に擁護している箇所に瞠目。それでも美術家列伝のひとり目として挙げられているのはチマブーエ。
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