ショートストップ
@tabine_sora
- 2025年7月11日
- 2025年7月9日
- 2025年7月8日ルポ 川崎磯部涼読み終わった
- 2025年7月7日トム・ソーヤーの冒険マーク・トウェイン,柴田元幸読み終わった〈仕事〉とは人が強いられるものであり〈遊び〉とは強いられないものだ 「見せびらかし」 したければできるという単純な事実が、欲望を奪い去り、その魅力を殺したのである。
- 2025年7月6日マイ・ブロークン・マリコ平庫ワカ読み終わった
- 2025年7月4日ノルウェイの森 下村上春樹読み終わった
- 2025年7月4日
- 2025年7月4日ノルウェイの森 下村上春樹
- 2025年7月4日ノルウェイの森 上村上春樹読み終わった
- 2025年6月29日橋川文三日本浪曼派の精神宮嶋繁明読み終わった孫引き 橋川 「ぼく場合は、国際連盟を脱退した昭和八年には、小学校の五年ですが、そのころからいわゆる軍国主義の世界に生きるようになったわけですから、あとどんなことを考えようとも、ちょっと手遅れでしょうね。ということは、ほかの世界像を描く可能性がどうもなくなってきたんですね」 橋川文三「日本思想の回帰性」『歴史と精神』 「ぼくは今も考えるんですけれど、朔太郎を通ったために保田にかなり早く惚れこんじゃう、それが1つの景気になってるということを感じるんですけどね」 橋川文三「保田與重郎をどうとらえるか」『歴史と精神』 本文「大学を留年した橋川は、1945年1月から、動員、先が貴族院事務局の委員課に配属となり、同じ大学の学生、十数人とともに筆記係を担当した。」 →「総理小磯國昭以下の大臣たち、この間法務大臣をやめた西郷吉之助なんて議員もいましたが、その彼らがやっている政策論議を見たり聞いたりしたのは私にとって大きなショックでした。実に愚劣な議論をさも重大らしく、厳粛らしくやってるんです。こっちはいつ、どんなふうに死ぬか、死ねるかという眼で戦争を見ているのに、ここで行われている議論は決して死ぬつもりのない連中の実に悠長な議論なんですね、ああ、これがつまり政治ってやつかと私にやっと眼がひらけたみたいなんです」 「私は、同じ年齢の学生仲間でも、いくらかロマンティクで、幼稚だったのかもしれない。ともかく「皇軍」が暴行・掠奪はおろか、虐殺・強姦さえ行うものであるとは、夢にも考えたことがなかった。あとから思うと、それは南京虐殺のおくればせなウワサだったようにも思われるが、とにかくその衝撃は大きかった。議会の低調な雰囲気と、そのウワサ話と、この二つのものが、私に初めてこの戦争の疑わしさを教えたといってもよい。もちろん、それらはすべて私の知的未熟さを示す証拠以外のなにものでもないであろう。そのことの恥ずかしさは、今もなお私の中に生きている」(橋川文三「戦争と私」) 本文「橋川の「潮流」時代における代表的な仕事のひとつに、入社約一年半後の1949年5月号に載った、丸山眞男の「軍国支配者の精神形態」を、担当編集者として書き上げてもらったことが挙げられる」 「橋川はマルクス主義を通過することによってこそ、戦後民主主義や近代合理主義的な政治・社会思想だけではとらえられない、あるいは、「歴史的パースペクティヴ」といったような教条主義的な法則には収まらない、存在としての人の思惟、思想の力とその可能性を全体としてとらえなおそうとしたのであろう。そして、「不能率」ではあっても、日本人の「あたたかい心情」をもった人々や思想に、関心の焦点は注がれていくことになる」
- 2025年6月29日増補 日本語が亡びるとき水村美苗読み終わった
- 2025年6月27日読み終わった「それは「私」と「アメリカの私」との間の溝、あるいは、「日本の私」と「アメリカの私」との間の溝というべきものーーいや、より正確には、「日本語の中の私」と「英語の中の私」との間の溝というべきものであった」 「もちろん中国人との連帯感も自発的には生まれなかった。(…)彼らとの連帯感はひとえにアメリカの社会に強制されて芽生えていったものでしかなかった。」 「日本では想像もしなかった。黒人を交えての生活は、珍しくもおもしろくもあった。どうしてそれが私にとって居心地がいい生活であるべきなのだろうか。ーーNo. 私は自分の疑問をこの短い一言に封じ込んだ」 「I realized that it wasn’t just Henryk who made me look cheap. I made him look cheap too, because I was Oriental」 「I wish I were twenty years younger or twenty years older (…)ところが一回しか与えられていないこの人生は今刻々と形をとっている最中でしかなかった。」 「ーーあああ、なんか人生つらいわね ーーうん。 ーーespecially on a night like this…」 *** 血でも育った場所でもなく、言葉が私を規定する。私は縦書きの日本語の世界に生きてきた。けれども、現実の不条理に晒される。それでも20年そうやって生き延びてきた。私は、”実際に”、言葉とともに、日本語とともに生きねばならぬ。その旅立ち。ラストシーンは、「東京物語」のクライマックスを想起した。けれども、ここから始まるのだ。何かを葬らなくては始まらない、そう思った。
- 2025年6月26日手紙、栞を添えて水村美苗,辻邦生読み終わった
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