「酔っぱらい」たちの日本近代 酒とアルコールの社会史
14件の記録
トラ@Toreads12342026年7月1日アンケートや警察の検挙数などのデータ、法律や村の掟、各種証言などを通して、その当時、お酒はどんな扱いをされていたかを描写する本。それぞれの時代で、お酒を飲むことに託された意味が変遷していくのが面白い。 「村落社会の中核的生産物(米)を、半生産的な液体へと変換し、しかも無目的に浪費する、という飲酒儀礼の本旨にとって、濁酒ほど似つかわしい酒はほかになかった。」(p.45) これは、本当に今の自分からは絶対に辿り着けないお酒を飲む意味。大切なものの浪費=無駄だと思うけど、無駄からしか生まれない文化は確実にあると思う。 「昼酒に対する戦後社会の不寛容さ」(p.84) パラダイムがシフトしていることを感じる一文。 「余暇飲酒の労働化・理性化と呼ぶべきこの現象」(p.91) これもパンチライン。 「だがその一方で、専門家の知見から大きく逸脱した、正反対の薬効イメージも、日本社会では広く信仰されてきた。アルコールには勤労者たちの疲れをとり除き、労働力を回復させる、すぐれて生産的な効能が含まれている、という想像・信仰である。」(p.122) 「『薬効』についての広告規制のゆるさもあいまって、20世紀前半のメーカー企業が自社ビールに付与したイメージは酒というよりは、疲労回復剤や栄養剤のそれに近いほどだった。」(p.168) お酒は回復薬として扱われていた。 「年間の種類別消費量において、ビールが清酒を追い抜いたのは1959年度である(清酒65万キロリットル、ビール71万キロリットル)。」(p.166) なぜここで逆転するのか、清酒の独走を許さずビールの台頭を呼び込んだ時代的な要請。 皮肉なことに今の風潮として、アルコールは迫害され「無」へと向かっていると思う。巻末にノンアルと清酒の量が並んできてる話が載っているが。 確かに、飲酒の害が喧伝されたり酒の場での犯罪や事件など、迫害を後押しする事象が多く観測される。しかし、社会問題が解決していったとしても、この文化が無くなってしまうことには反対だ。
片刃@kataha4622026年4月16日買った読み終わった非生産性こそが肝である米農家の酒宴文化から、日頃の生産性を上げるための会社員飲み会文化へ。その間の歴史に存在した「職人は昼から飲酒」「飲み過ぎで翌日欠勤」といった、今では考え難い習慣も興味深い。 ところで、生産性を上げるための飲酒には「酔客会社員が店にもたらす非生産的な損害やストレス」が付随する。ここでは本筋ではないので書かれていないが、飲食店手伝いでその辺を目にした人間としては、終章で書かれているようなアルコール文化の衰退は望ましくとも映る。
120@1202025年12月20日読み終わった今年の新書大賞は、本書(か、「人はなぜ結婚するのか」)でよいのではなかろうか。 豊富な参考文献をもとに、日本の労働と飲酒の密接な関わりが紐解かれる。 例えば、かつては「脱生産的な行為」とみなされていた飲酒が、いつしか労働力を回復させるための手段、すなわち「明日へのガソリン」へとその役割を変えていったこと。 あるいは、泥酔することこそが礼儀とされた時代から、節度ある理性的な飲み方が求められる時代へと変遷していく様が、鮮やかに描き出されている。
120@1202025年12月5日気になる戦後サラリーマン史のB面という感じで気になる。 第1章 つぶれるまで飲む――近世の飲酒スタイル 第2章 仕事帰りに飲む、終電で帰る――昼酒慣行の終焉 第3章 曖昧な仕事と飲酒――酒席の労働化 第4章 飲んで、燃料補給する――ガソリンとアルコール 第5章 米から麦へ――あらたな飲酒文化







