女子をこじらせて

8件の記録
- 読書猫@YYG_32025年5月15日読み終わった(本文抜粋) ”つまずいたら、素直に笑って「つまずいちゃいました」と言えばいいんです。たったそれだけのことが平気になるまで、ずいぶん長い時間がかかりました。“ ”恋愛をするということは、汚い自分を引き受けることです。まったく汚いところのない恋愛なんて、ない。どこかに必ず汚い自分の影が現れる。“ ”恥ずかしいとか、自分ごときがずうずうしいとか、それが何なんだと思いました。そんなことを言っていたらずっとこのままだし、このまま死んでしまう。グチと不満で埋め尽くされた人生を、ひんまがった顔で終えるしかない。自分は、まだ何も人生というものを生きていない。自分の思った通りに行動してちゃんと恥をかくこともせず、もしかしたら自分でもまだ知らない才能がどこかに眠っていて誰かがそれを見つけてくれるかもしれないなんて都合のいい夢みたいなことばかり考え、自分の生身の姿をどこかに置いて、まっすぐ力を試すことすらしていない。自分はまだ一度も世界に直接触れてはいないんだ、と思いました。“ ”こういうことをしたらこう思われる、こういうことをしたら誤解される、こういうことを書いたらイタイ人と思われる、そうやって自分をがんじがらめにしていた「自分の中にある他者の視線」を、やっと振り切れた気持ちになりました。他者の視線はもういい。客観視するのはもういい。もうさんざんやったじゃないか。さんざんやって、上手くいったことがあったか? 結局、客観視している自分の意見と、内側から出てくる「これをやりたい」という欲望のバランスが取れなくて、いたずらに苦しんだだけじゃなかったか。あふれ出るような快感や楽しみを不必要に我慢しただけじゃなかったか。自分で自分をコントロールして上手くやれると思っていたこと自体が思い上がりで、ぜんぜん上手くできていなかったじゃないか。自分は、そんなに取り返しのつかないひどいことをしたか? 仮に本当にそれがひどい失敗だったとして、失敗したからとさらに縮こまって、誰からも非難されないような文章を目指して、自分の文章の「非難されそうな箇所」を執拗に添削し続けるのか? 欠点を直そうと思うのは向上心かもしれませんが、自分が自分である根本を欠点として否定し、それを直そうとしたり隠そうとしたりするのは、ただ歪みを生むだけでなく、長所までも削り取ってしまうものだと思います。添削して欠点を取り除いた文章に、私の長所は果たしてあるのだろうか。そして、そんなことをすることに、喜びはあるのだろうか。 30歳を過ぎて、もう若手とも言えないような年齢になってそんな方向に進むのは間違っている、とはっきり思いました。言いたいことを言っている人に嫉妬しながら、自分は欠点を見せないようにせこせこ添削して書くなんて、やりたくない。 それは久しぶりに感じた「誰がどう思うかじゃなく、自分が本当にしたいこと」の気配でした。「本当にしたいこと」「やりたいことをやる」なんて、すごい才能のある人にしか許されていないことのように思っていましたが、べつに自分がやったっていいわけです。何か選択肢が目の前に現れたら、自分が楽しそうだと思うほうを取ろう、選択肢がなかったら自分がいいと思う方向に進もう。そう思って、今までそう思えなかった自分は異常だったと気づきました。“
- ひさ@hsysy2025年4月24日読み終わった@ 自宅えげつないほどにおもしろかった。 抱腹絶倒かつ号泣必至の自伝本。 「映画や小説じゃないんだから、人生に結論なんかない。こう生きたことが正しかったとか間違っていたとか、誰にも言えない。生きてる時間が全てです。」 「自分の価値を決めるのは自分自身で、決してそれを他人の手に委ねてはいけない。」