ことばが劈かれるとき

10件の記録
- myk.sk@reads-4404102025年4月25日読み終わったことばを日々難なく発していることが、こえにしづらい人にとってはどれほどの奇跡に満ちていることなのかを、しみじみと感じた。と同時に、ことばは他者と繋がるために身体性をもって発せられるものであり、声が届くということの中身を今一度考える機会ともなった。
- あんどん書房@andn2025年4月6日読み終わった@ 自宅参加する講座の課題本になっていなければ、たぶん出会えなかった本。 ひとことで言うと「ことば」と「からだ」の関係性について思考を巡らせるといった内容だ。その柱になっているのが、竹内さん自身が失った聴力とことばを取り戻していった過程と、演劇レッスンで生徒や障害を持った子どもたちと出会い、彼らのからだを観察した経験である。 そもそも本書における言葉というのは「まずなによりも他者への働きかけ」(P25)である。こえがきちんと相手に届き、相手の行動や思いを変える。そのためには、自分に閉じこもるのではなく、「劈(ひら)」かなければならない。 あえて「劈く(つんざく)」と書いてひらくと読ませているところに、切実さを感じる。 こういった細かいニュアンス、言葉自体の持つ豊かなイメージに心を配る大切さも説かれている。 自分自身の問題とも重なり、いちばん刺さったのは「他者」との出会いについて。 “「他者」が私に現れたのはいつのことだったか[…]それは、くり返し寄せてくる波のように、いく度かの回帰があり、そのたびに、点が線に、線が面、そして立体へと動いてゆくようにはっきりしてきたことは確かである” (P72) なにか暴力的なものとして周囲に存在している「非自」(自分以外)から、他者が立ち上がってくる経験を竹内さんは演劇に取り組む中で経験する。 自分自身この自他の分離的なものがまだまだ十分でないが、考え方だけでなくからだにアプローチするという方法はかなり示唆的だと思った。 “からだが充分に解放され、内なる情報に対して敏速に反応できるだけ柔軟であるとき、充分に豊かなこえが発せられるのは当然のこととなるだろう”(P195) 逆にいうとからだが準備できていない、緊張していると声は出ないわけだ。 自分も第一声(たとえば「おはようございます」とか)を空振りしてしまうことが多くて、最初は空気しか出ないみたいなことになる。明らかにからだの緊張によるものだろう。 まずは何よりも自分の身体性を意識していくことと、イメージを膨らませることの重要さについて考えさせられる本でした。 本文書体:岩田細明朝体 カバー装画:宮川和子