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はるにれ
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@Elms1130
  • 2025年5月25日
    百年と一日
    百年と一日
    説話集を読むとこの本を、この本を読むと説話集を開きたくなる。思わぬことが起こったり、人間の運命を感じたり、それぞれに内容のわかるタイトルがついていたり。 一般的な短編小説のようなストーリー展開や結末を期待しない方がいい。物語の中心にあるのは、さまざまな場所や物。その周りを時間と人間が動いていく。その不思議な感覚を味わうのが、この本を読む醍醐味じゃないかな。 好きな話がたくさんあるから、お気に入りを選ぶのは難しいけれど、きのこが出てくる最初の話は絶対に外せない。
  • 2025年5月21日
    王朝奇談集
    王朝奇談集
    説話集は文句なく面白い。名だたる作家たちが短編の元ネタとして使うのも納得がいく。王朝奇談というだけあって、典雅な話も選ばれているけれど、私は騒々しい話に惹かれるみたい。 後半のお気に入りは、巻貝が食べられる直前に、たくさんの小さな尼の姿になって夢の中に現れ、「それぞれに泣き悲しみ、様々に掻き口説いた」という話。蛤が夢に現れた人もいるらしい。酒蒸しを作る時に、アサリが次々と口を開けていく様子を思い浮かべると、無数の尼さんが口々にしゃべっている姿と重なるかも。 貝は「生きたままのものを食うゆえに、斯様に夢にも現れるのであろう。無惨な事ではある。」と話は締めくくられている。説話集だからね。でも、活きのいい貝なんて、最近なかなか手に入らないから、尼さんたちがわーわー騒いでいる夢を見てみたい気持ちもする。
  • 2025年5月19日
    王朝奇談集
    王朝奇談集
    平安鎌倉時代の作品から編まれたアンソロジー。「今昔物語」のように有名な作品からあまり知られていないものまで幅広く17作品から82編が取られている。登場人物も皇族貴族の有名人から名もなき庶民まで多様。 あえて古い言葉や言い回しが使われていて、現代語訳というより編者が語り直した物語になってる。説明臭さがなく、古風な雰囲気がいい感じ。 今のところのお気に入りは、中国からわざわざ力比べに来た天狗がボコボコにされて、湯治して帰って行った話と、毎年たくさん取れていた平茸が取れなくなってしまった村で、実はその前の年に平茸たちが僧の姿で暇乞いに来ていたという話。平茸がお別れを言いに来たんだよ。義理堅くて、笑っちゃうよね。とにかく面白い。
  • 2025年5月18日
    アイヌがまなざす
    アイヌがまなざす
    追加のメモ 印象的なまなざしを持っている表紙の作品はインタビューを受けた方のもの。行動的でインタビューも読み応えあったけれど、この表紙のまなざしは本当にいい。
  • 2025年5月17日
    アイヌがまなざす
    アイヌがまなざす
    行ったり来たりを繰り返して、なんとか最後までよろよろたどり着いた。 当事者の声を聞くためには、背景知識も必要だし、突きつけられた言葉を受けとめる覚悟もいる。両方とも足りていなかった。著者二人が丁寧にその人の言葉を拾い上げて、解きほぐしてくれているが、それでも「生の声」を受けとめきれていないところがかなりあると思う。 アイヌのルーツを持たない村上さんは書き手としての難しさを述べられているけれど、先住民と植民側のお二人が議論しながら書いた本があることそのものに感謝したい。アイヌの女たちが命を守り抜くためにしてきたこと、アイデンティティの問題、地域の違い、アイヌによる運動の歴史。気になったことはたくさんある。また出直してきます。
  • 2025年5月17日
    アイヌがまなざす
    アイヌがまなざす
    「アイヌもやもや」(初心者向けの書籍)でマジョリティはどうすればいいかについて、「当事者の声を聞こう」という提案があった。(p156)インタビューやルポルタージュ、自伝などで「すでに生の声は響いている」し、「相手に2次被害を与えるリスクを避けるためには、すでに記録されているものを読み込むのが最良でしょう」と結論づけられていた。 もう一度この本の「痛みの声」に戻って、インタビューとその分析を読み込んでみる。
  • 2025年5月15日
    ナラティヴの被害学
    出版社(文学通信)のブログで第1章が読める。 著者は「わたしにとって人文学の究極目的は暴力の否定である」と言い切って、次のように書いている。 「われわれは誰しも、思考したり、発言したり、行動したりするたびに、そのつど被害性をまとったり加害性をまとったりすることを避けられない。われわれはそのような暴力と非暴力のあいだの、被害と加害のあいだのスペクトラムをたえまなく移動しているのであり、したがって、つねに非暴力の側に立つことは構造的に不可能である。」 「暴力とは、一部の乱暴者だけがふるうものではない。常識人たるわれわれもまた、いとも簡単に加害性に連座してしまいうる。そのことについてクリティカルに、そしてラディカルに考えてゆくために、まずわれわれ自身を暴力の、加害の側に、立たせる必要がある。」 明快で潔い。この気構えを持って、読書をしたい。
  • 2025年5月13日
    アイヌもやもや
    アイヌもやもや
    まず、副題がいい。 見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。  アイヌのルーツを持つ2人(東京に住んでいる高校生と北海道の自治体で働いていて家族もいる社会人)を漫画パートの登場人物の中心に据えて、今を生きる彼らの姿を描くことで、アイヌのルーツを持つ人にも持たない人にも、手に取りやすく、心に響く本になっているのではないか。ルーツを持たないマジョリティの理解の助けになるだけではなく、ルーツを持つマイノリティの気持ちの支えになるように考えられている。両方の立場の人を「わたしたち」にするために。 漫画もあって、そんなに分厚い本ではないけれど、「アイヌである」というアイデンティティの問題、マジョリティの無自覚な優位性、マジョリティがすべきこととその際の注意点、他のマイノリティグループとの関わりなどについても、しっかりと解説されていて、初心者としては助かった。
  • 2025年5月11日
    アイヌがまなざす
    アイヌがまなざす
    今日はとりあえず6章まで。気になったところ。 アイヌの人たちの中の女性に対する複合差別 日本人知識人女性の白人性 (p195)「マジョリティの女性は、同じ女性としてマイノリティ女性を包括してしまっていたがために、マイノリティ女性の疎外を深めてしまっていた。」 研究者も支援者も法律も、アイヌに対して固定化したイメージを押し付けていて、そこからはみ出した人たちは「なかったこと」にされている。 イメージを押しつけるという点では支援者とヘイターは同じ、と書かれていて印象的。 (p232)「雑なイデオロギーとスピっているイメージ、そして文化研究によって、現実のひだが覆い隠され、個別のナラティブと具体的な歴史も隠されるのだ。」「文化史や言語学に偏った先行研究では、自分と過去の人が結びつかない。過程が見えない。」 著者2人はインタビューによって、「いろんなナラティブ」を掘り起こしている。村上靖彦さんの役割はそこにあるようだ。
  • 2025年5月11日
    アイヌがまなざす
    アイヌがまなざす
    Readsでこの本を見かけた時、目を引いたのは、村上靖彦という共著者の名前だった。「ケアをひらく」シリーズで読んだ人?看護やケアに関わっている人じゃなかった?同姓同名?---同じ人だった。 もうひとりの著者である石原さんは「『アイヌ研究』なるものの暴力的で不躾なまなざし」(p8)に対して、まなざし返すアイヌの人たちの声を聴き、問題を洗い出し、分析している。 内容が濃くて重くて、どこまで消化できるのか不安に思いながら、読み進めているところ。
  • 2025年5月8日
    アイヌがまなざす
    アイヌがまなざす
    次はこれ。
  • 2025年5月8日
    アイヌからみた北海道150年
    Readsで見かけた本を図書館で見つけて借りた。まずはこれを手始めに、なんて思って読み始めたけれど、長くはないひとりひとりの言葉に立ち止まることが多くて。それぞれの人生、それぞれの思い、それぞれの150年。
  • 2025年5月4日
    食べごしらえおままごと
    食のエッセイというより郷里の生活の記録だ。ひとつひとつの食材の手触りや匂いが強烈で、それを扱う人たちの息づかいや声が生々しい。 都会でしか暮らしたことがないのだけれど、時々「大地」を感じさせる文章に殴られたい気持ちになる。
  • 2025年5月4日
  • 2025年4月28日
    奥歯を噛みしめる 詩がうまれるとき
    奥歯を噛みしめる 詩がうまれるとき
    老いた母との会話、子どもの頃の思い出、歩くこと、海外旅行、料理。なんだか「今度、会わない?」ってLINEする友達の手紙を読んでいるみたい。その中に詩を読むこと、詩を書くことが入ってる。 「シンボルスカが誰にでも声をかけているときには、誰も除け者にされることはない。詩を読まない人も、詩に関心のない人も、詩を悪く言う人さえも。シンボルスカはあらゆる人を詩に招く。」(126ページ)キム・ソヨンさんもそうだよね。
  • 2025年4月26日
    運命綺譚
    運命綺譚
    気分転換に読んだ短編集。綺譚という名にふさわしい「不滅の物語」を読むつもりで手に取ったけれど、今が新緑の眩しい季節だからか(本当の舞台は7月だけれど)、最後の「指輪」に魅せられた。夏の朝の大気、牧場、森の木々、19才のリーセ。みずみずしい描写が続いた後だけに、最後の不穏さが際立つ。
  • 2025年4月26日
    世界は私たちのために作られていない
    追加 (気になったところ) 「ASD者を支援するために設立された組織において、その指導者層のどこにもASD者がいない」(304ページ) 「白人ASD者は(状況が許せば)自由に仮面を外せるが、黒人ASD者は仮面を外すことができない。行動を人種差別的に解釈される脅威が加わるからだ。」(309ページ)
  • 2025年4月26日
    世界は私たちのために作られていない
    著書の目的はASD者について理解してもらうこと。つまり、ASD者が定型発達のルールや思考を理解しようとする努力に匹敵するだけの労力を定型発達者も払って、両者が中間地点まで歩みよるようにすること。(43ページ) 人間関係、学校、職場などシーンごとにASD者が直面する苦労や困難が説明されている。各章の最後にまとめがあるので、気になった時、見直すのに便利だと思う。役に立ちそう。 イギリスの事情が述べられているけれど、日本との違いはほとんど気にならなかった。とはいえ、ASD者も多様だろうし、できれば日本の状況を書いた本が増えるといいな。
  • 2025年4月20日
    世界は私たちのために作られていない
    著者は「はじめに」で怒りを原動力にしていると書いているけれど、ユーモアのある書きぶり。マスキング(仮面着用)、メルトダウン、友人関係、恋愛。不確定要素を除くためのルーティーン。趣味の持つ意味。とりあえず、4章まで。
  • 2025年4月18日
    虫を描く女(ひと)
    本屋で見かけて、びっくり。中野京子さんにはマリア・シビラ・メーリアンについての著書があったんだ。それも「怖い絵」より前に。復刊されて、嬉しい。もっとカラーの絵が多ければ、とは思うけれど、新書版だし、買いやすさも大切だからなあ。
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