死をポケットに入れて
12件の記録
ジクロロ@jirowcrew2026年4月30日読んでるわたしは順応しなければならなかった。しかしわたしたちみんなにとって、たとえ今でも、次の一行は常に待ち受けていて、その一行こそ遂に何かを見つけだし、遂に書いたいことを言っている一行となるかもしれないのだ。頭がまるで働かない夜は一晩寝てそのことを考え、よいこともあると思えばいい。 (92年3月16日12:53AM)
ジクロロ@jirowcrew2026年4月30日読んでる書くことによって失うものは何もない。書くことで、眠っている時にも気力が充実するようになるだろう。虎のような足どりで歩くようになるだろう。瞳を熱く燃え上がらせ、死に面と向き合うようになるだろう。闘う人間として死ぬことになり、地獄で称えられることになるだろう。言葉の巡り合わせ。それでどんどん進めていくがいい。暗闇の道化役者になるのだ。こいつはおもしろい。こいつはおかしい。新しい行がまたひとつ……。 (91年9月26日12:16AM) 人が他者から言葉を欲しがるのは、一つの死を迎え入れたいからではないかと思う。成仏できない一つの人格が自分の周りを彷徨っていることがある。でもやっぱりちょうどよい言葉というものは他者からは得られない。 自らの言葉を綴っていくことにより、その死に損ないから逃走をはかることもできる。ただ、自分の言葉だけでは自分の外側には行けず、結局は死に損ないと泥試合をするはめになる。 他者の言葉を一縷の蜘蛛の糸とし、それに捕まり、一切の後ろめたさもなく、自分の口から吐く糸によりその続きを登っていくこと。 大事なのは勢い、その「一行」。 周りの目や罪悪感を感じた瞬間に、その意図はプツリと切れてしまう。 新しい局面を切り開くにふさわしい文章は、真夜中に暗闇の中から生まれてくるものなのかもしれない。 ブコウスキーが執筆時間、分単位で記録しているあたり、それもまた何かを語ろうと、一つの手を、一行を差し出している。

菜穂@mblaq_08252025年6月13日読み終わった本のある暮らし積読家荒々しさ満載の不良老人が書く日記は、どこか哲学的で読み応えがありました。 ブコウスキー……面白い。 小説や詩も読むの楽しみです。





akimahende@akande19992025年4月27日読み終わった死ぬのが怖いが死にたがりの人間の日記といえば二階堂奥歯みたいなものだが書き手は麗らかな乙女とかではなく70過ぎたアメリカのジジイでひたすら文句文句文句、競馬場と自宅を行き来するだけの日々 ジジイの矜持にかけてこのライフスタイルは誰にも侵害されまいとその意地だけは若々しく思える ロバート・クラムの絵大好きです












