仮面の告白
84件の記録
みゆわ@miyuwa2026年6月13日読み終わった浅薄な私は三島由紀夫といえば東大で全共闘と討議した、くらいのイメージしか持ち合わせていなかった。彼のエッセイは読んだことはあったが、彼自身の性の話は全くと言っていいほど知らなかった。 そしてこの本のあらすじも知らずに読み始めると驚いた。性自認や性的趣向を軸とした話だったからだ。 同性愛に目覚めてゆき、その正常性について葛藤しながら成長していく主人公の一人称視点で語られる。本を読み始めてから裏表紙を思い出したように確認すると、なんとこれは三島の半自伝小説とのこと。それも納得するほど主人公の思考や感情の揺らぎが精細に描写されていた。その描写も超絶技巧的と言っていい。一つの要素も取りこぼすまいとする気迫さえ感じる語彙の数々に終始圧倒された。なんというか、「これぞ純文学」と思わざるをえないような「格式」を文章に感じた。 性自認に対する葛藤をここまで精緻に表現している小説は少ないのではないだろうか。今ではその手の小説でトップは朝井リョウの「正欲」だと思っているが、「仮面の告白」は金字塔と言ってもいい。
スゥ@oneSue2026年6月10日買った読み始めた『ナイルパーの女子会』と『人間失格』の主人公が好きなのですが、といったら、「多分あなたはこれも好きだと思いますよ」とAIがゴリ押ししてきた本。 文体でめちゃくちゃ読むのに苦労している…





ほんちゃそ@hokano2026年5月16日読み終わった初めて三島由紀夫の小説読んだ! 自叙伝だし難しい名詞は注釈付きなので読みやすかった 三島由紀夫の事全く知らずに読んだから結構イメージと違ったし、赤裸々すぎて笑ける箇所がいくつかあった 何より、文体が美しすぎてうっとり 刹那の情景が目に浮かんだ

央河純@qxll052026年4月23日読み終わった本来の自分の顔を覆い隠し、常人として振る舞うための偽りの仮面。仮面の裏側には新たな仮面が生まれ、自己を語ろうとするほどに自己から離れゆくという逆説に主体は苛まれ、ついには自己を見失う。その告白自体にも、やはり偽りの告白という構造が生まれ、仮面が生じる。語っているのに語っていない自己、存在しながら存在しない自己。その果てしない矛盾を抱えて主体が崩壊する時、その瞳が見つめる視線の先にはギラギラとした憧れと欲望が輝いていた。
くりーむ@cream2026年3月2日何度読んだかわからない。名作です。 名作であるがゆえに、何を感想に残せばよいかわからない・難しい作品とも言えます。私がこの作品から受ける感じというのは、だいたい高校生の頃に固まったような気がします。 主人公は現代風な言い方で言えば、ヘテロロマンティック・ホモセクシュアルだと言えるのかもしれません。もうちょっと違った見方もできるような気がします(特に、ホモセクシュアルであるといったときのセクシュアルというのは、かなり限定的な意味を――少なくともこの作品では――もっているようにみえます)が、とりあえずそうだとおもってみると、それだけでもいろいろなものがみえるなあ、とおもいます。 例えば、主人公が男の人の身体(の特に「肉体」と特別に名指すべきもの)をまなざすときの記述と、女の人の身体をまなざすときの記述を見比べると、明らかに前者のほうがねちっこく・「豊か」で・執拗なものになっています。話はちょっと変わりますが、ライトノベルとか、或いは普通の文学的な作品でも、この意味でかなりセクシュアルな記述なんだなあと私が気づくきっかけのひとつとなったのはこの作品です。 あとは、主人公は男性器をもつ男の人なわけですが、ではこれが、女性器をもつ女の人だったら、一体どんな物語になっていたのだろうか、というのは読むたびに考えてしまいます。存在しない(←本当に?)物語のことを考えて勝手に泪を流す厄介な生き物が、こうして出来上がります👀。 園子の視点でこの物語を再構成してみるのも面白いです。あまり、まとまっていないけど。

チャイ@chai_cat2026年2月26日読みたい買った三島由紀夫好きの知り合いの方から、「何から読んだらいいか?」と伺った回答 “仮面の告白”“潮騒”“不道徳教育講座”の3冊を揃えた。 ずっと気になっていた“仮面の告白”読むのが楽しみ✨- 亮亮@kiiroimegane2026年2月17日読み終わった2周目。 三島由紀夫の自伝的小説。 同性愛、歪んだ性に悩まされ抗おうとする青年の生き様。 肉体美への圧倒的な執着から表現される描写が素晴らしい。 タンクトップから覗かれた肉体的な少年の脇毛を、ただ脇毛を見たということだけを、これでもかというほど美しく表現する。
河野@kono_a162026年1月17日読み終わった好きな芸人が影響を受けた作品、として時間はかかったが読み終わった。 希死念慮と言っていいか分からないが、戦争の時期を生きていた人の死生観って今とは違う。いつ死ぬか分からないし家族がいつ死んでるか分からない不安定さって想像もつかない。 マイノリティに対する苦しみや、筋肉質な体への憧れ等とにかく複雑な感情をひたすら美しい描写力で書いていて読むのは大変だったが面白かった。


ゆい奈@tu1_book2026年1月16日読み終わった隠しておきたいもの、人に知られたくないもの、じぶんでも受け入れたくないじぶんのこと。気づきたくなくて、隠したくて、だから蔑ろにしてみたりするのだけど、逃れられなくて。主人公は同性愛者として苦しむ、じぶんがまちがっていると、じぶんは他人とちがうと。無意識下では制御できない欲望、愛。じぶんのなかにあるものは、ないものにはできないよな、とおもう。中身は違えど、誰しもにあるよな、こんな地獄は。 三島由紀夫の文体は美しいなあ、たまらん。肉体のこと、内側のこと、すべてが緻密に書かれていておもしろい。もっと読みたい。










ゆい奈@tu1_book2026年1月6日読み始めたはじまりからあまりにも美しい。三島の性的自伝小説とのこと。「聖セバスチャンの殉教」という絵画をみて、はじめて肉体的快感をあじわうところまで読んだ。寝れない。おもしろい。









小切手@pkseathroughreading2025年8月11日読み終わった@ 自宅性欲からならない愛(恋)はあるんだ!!!と声を大にして言いたい。 内容から、あくまで性的に見えるのは男性だけであるということが察せられる。それが女性を愛していないことにはならない。ただ性的に見えていないだけ。 前述の内容や歪んだ内省を見ていると、まるで自分を見ているような気持ちになる。正直、生きる時代が違って良かった。今は仲間や情報を見つけるのが容易で、仮面の告白の主人公のような人もネット上で見かける。主人公が今に生きていたら、あんなに悩まずに済んだのだろうか。




小切手@pkseathroughreading2025年8月11日読んでる@ 自宅多分半分くらい読んだ。取っ付き難い印象があったが、案外読みやすい。文章が盛りに盛られていて、この人全部書いてるんじゃないの、と思う。 セクシャリティや嗜好に関しては共感できる部分もそれなりにあり、読んでいて少し笑ってしまった。あまりにも身に覚えがありすぎる。 これは今読んで良かった本だと思う。もっと前に読んでいたら、自分に対する解像度が低すぎることに加え、知識もないためによく分からないという感想になったかもしれない。


かな@kk714000262025年7月1日読み終わった最後の中村文則の解説がとても良かった。 三島の自意識にうんざりしてしまうところもあるのだけど、やっぱり三島の作品を読み終えた後には切なさややりきれなさが残る。
okabe@m_okabe2025年6月8日読み終わった主人公と三島とが重なる。主人公の人生も三島の人生も、生まれた瞬間から運命づけられていたように感じる。 戦争というものが、主人公の繊細で複雑な内面をより屈折させていて、それは三島自身も同じだったのではないかと思う。

- みどり@midori572025年5月31日読み終わった肉体に紐づいた本当の自己と社会と関わるために利用する自己が対立する 主人公の性癖は同性愛に理解が広がった現代においても忌避されるだろう暴力的なもので、「そうあるべき」と「そうある」の距離がとてつもなく悲しい
中野@nowoyuku2025年3月26日読み終わった「私」はあまりにも自己を理解している。理解しているというか、理性的に客観視出来ている。自分がどういう人間なのかを。そして、「自分から見た自分」だけではなく、「周りから自分がどう見えるか」までも見えている。 何故、ここまで客観視出来るのか、それは自分という人間・生を「生きている」という実感が乏しいからなのではないかと思った。自分の人生だというのに、まるで他人事のように思っている。故に、「私」が確かに持つはずの「私の肉体」という存在は「透明」だったのではないだろうか。この肉体は「私」が動かしているはずなのに、どこか自分と繋がっているような感じがしない。つまり、簡単にいうと、脳みそ(理性)は「私」のものだが、「肉体(=実体・生そのもの)」は他人のもののように感じられていたのではないかと考えられる。 「私」は男性である以上、園子という「女性」を愛す「べき」だと考えるが、「肉体」(自分の生、奥底に深く結びついた本能とも言える)は、男性─とりわけ粗野で逞しく、「死」に瀕していることで逆に「生」というものを強く感じさせるような─をひたすらに求め続けている。 周りから見た自分(=男性としての肉体を持っている自分)は女性を愛して「見せる」のが当たり前だと「私」は考えているが、その実、自分の「生」というものに実感がないので、女性を心の底から求めた結果にある、「結婚」という現実的な問題には気付けない。 「私」は「来るべき時」が来れば、「肉体」が「私」に追いつき、正常になり、女性を「心の底から」求められるようになると信じていた。性的指向はそういうものではないというのに。直すとか直るとかそういうことではないのだ。 なんというか、つまり「私」は「私」という男性の身体を持って産まれた「自分」を演じているに過ぎず、作中、人生を「舞台」と言っているのが本当の想いなのだと感じることが出来る。 同級生への「片想い」の描写の数々はとても瑞々しく描かれており、有り体に言うと「恋する乙女」のようだし、頭の先から爪の先に至るまで全身でそう「思って」いるのだろうと感じられる。しかし、園子への想いは、好意…女性とか男性とかの以前になんとなく好ましいという気持ちは確かにあるのだろうが、「女性だから好ましい」・「同い年の男ならそう考える」という、自分自身を無理矢理納得させるような述べ方なのだ。 園子の疎開先から帰る時など、「肉体」は早々に女性を愛することを拒絶し、むしろ「私」を追い抜いて「真実」にたどり着いているが、いまだに「私」は「気持ちがまだありながら女に見切りをつけた男はそうする」という物語的なルールに乗っ取って悲劇的な自分を演じているように見える。さらには、周りに「ほら、見てくれ!私は女を置いてきたんだ、自分を慕う女を、置いてくる。そんなことが出来てしまうような《立派な男》なんだ」とアピールもしている。 要するに「普通」の人生に嫉妬があるのだ、「私」は。男という性別に産まれた者の男らしい人生、それを寸分狂わずやって見せたかったのだ。 「私」という理性は、女性を愛するという普通の人生をすべきであると「今」でもどこかで考えている。園子という存在は、男らしい自分を演出するために必要な「装置」であり(特に園子は「私」にとって、実に初めて、並の男のように「愛せ」そうな…「来るべき時」を「私」に訪れさせてくれそうな予感のした特別な女性であるから…)、故に人妻となった園子と未練がましく逢瀬を続けてしまったのだろう。 「私」を本当に素直に三島由紀夫そのものと捉えてよいのなら、作中全体に三島のあの最期を予感させるような濃厚な香りを感じた。 あとがきにも書かれていたが、自らの、それでいて他人事のようにも思える生に絶望しながらも三島が生き続け、作品も作り続けていたらどんな作品が生まれていただろうか、と思う。読んでみたかった。生きていてほしかった。昭和という時代を抜け、平成を生きた三島を見てみたかった。 しかし、一方で人生を舞台のように生きた者にとってあれ以上美しく完璧な最期は無いようにも思われる。あの死に様こそが三島を三島たらしめているのだろう。三島が監督した「三島由紀夫」という舞台は、あのような幕引きでなくてはならなかったのだとわたしは思う。
こーたろー@deepdaylight2025年3月22日読み終わった初めの美しい文体の自分語り、鮮烈な近江くんとの恋、不毛だが純粋で切ない園子との逢瀬、すべてが文学すぎて笑ってしまった。これを二十代で書いたのかと思うと、三島由紀夫は天才だなと思う。


- ぷり子@Puricco2025年3月11日かつて読んだ前半パートの文章の美しさと熱の入り方がすごい。 20歳でこの文章を書けるのは間違いなく天賦の才といった所なんだけど、後半パートが明らかに筆の勢いがなくなって消化ゲームになっててこれも若さ故かとにっこりしてしまった。 ゾーンに入った三島由紀夫の文章は無敵。





















































