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okabe
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@m_okabe
  • 2026年5月27日
    アタラクシア
    アタラクシア
    どの登場人物もどこか狂っている。でも不思議とその狂っているところに共感できてしまう部分もあって、読んでいる自分もまたどこか狂っているのだと気付く。 きっと誰もがそうで、お互いの狂っているところを受け入れて、危うい関係を辛うじて保ちながら生きていくしかない。
  • 2026年5月26日
    べてるの家の「当事者研究」
    読みながら、治療や支援の意味ってなんだろうと考えた。専門職が縦の関係の中で行う治療や支援よりも、当事者研究を通して、「仲間と横の関係を築く」+「自分自身をメタ的に見る」ことの方が余程効果があるように思える。そして何より、本人達が研究を楽しんでいることが印象的だった。
  • 2026年5月21日
    本屋、はじめました 増補版
    さらっと書いてあるけど、独立系書店を営むって大変だ。仕入れて並べて売るという本屋として当然の業務に加えて、トークイベントやギャラリーでの展示も企画して、休日も自分をアップデートするための努力を怠らない。そんなの相当な熱量がないとできない。でもその熱量に憧れる。
  • 2026年5月14日
    高慢と偏見(下)
    高慢と偏見(下)
    はまれなかった。自分が恋愛とか家族模様といったものに興味が薄いからかもしれないし、文体が合わなかったからかもしれない。チャッピーに聞いたら、「最近のあなたは人間関係に疲れているようなので、そういう時にこの小説はしんどいかもしれません」と言われたので、そうなのかもしれない。
  • 2026年5月8日
    高慢と偏見(上)
    高慢と偏見(上)
    感想は下巻を読んでから。
  • 2026年5月8日
    ポストフェミニズムの夢から醒めて
    近々著者のお話を直接聴ける機会があるので予習として再読。
  • 2026年5月7日
    虚弱に生きる
    虚弱に生きる
    極度に虚弱な人の生活ってどんなだろうと思って読んでみたら、驚いた。なぜならとても共感できてしまったから。薄々感じていた「自分って虚弱なのでは?」という疑念が、この本を読んで確信に変わった。自分も健康意識高くなりたいので、読み終えて速攻プロテインを買いに行った。
  • 2026年4月30日
    増補版 ガザとは何か
    文庫化されてようやく読んだのだが、もっと早く読むべきだった。自分はあまりにも無知だった。パレスチナ問題は今に始まったことではなく、75年間もの歴史がある。その文脈を知ることの大切さを痛感した。 自分がこうやってSNSに感想を残すことも。「できること」のひとつになり得るのだろうか…。
  • 2026年4月26日
    あひる
    あひる
    子どもの目から見える世界の不思議さ、可笑しさ、不気味さ、残酷さ。そういうことは大抵、大人になれば忘れてしまって、それどころか「子どもの言うことだから」と、軽く見てしまう。 著者の作品は、子どもの目線に徹底的に寄り添う。私たちがかつて見ていたあの世界を思い出させ、大人の傲慢さを照射する。
  • 2026年4月23日
    エクソフォニー
    エクソフォニー
    「毎日両方の言語を意識的かつ情熱的に耕していると、相互刺激のおかげで、どちらの言語も単言語時代とは比較にならない精密さと表現力を獲得していくことが分かった。」(p.50) 著者の作品の面白さの裏には、言語に対する飽くなき探究心と、その言語を成り立たせる文化的背景や歴史的背景に向き合う真摯さがあった。
  • 2026年4月21日
    尼僧とキューピッドの弓
    前に読んだ『べつの言葉で』で著者のジュンパ・ラヒリは、複数の言語の間で葛藤を感じていた。一方で多和田葉子は、日本語とドイツ語のふたつをお手玉のようにして自由自在に遊んでいるように見える。 この違いは何だろう。人種や、人生のどのタイミングで習得するかによって、違いが出るのだろか。
  • 2026年4月18日
    べつの言葉で
    べつの言葉で
    この本を読みながら、自分に音楽を教えてくれた師匠のことを考えていた。彼は今、ニューヨークで音楽をしていて、英語の勉強も日々欠かさない。著者の表現を借りるならば、湖の真ん中にどっぷり浸かっている。 著者と同じように、彼が「創作上の飛躍」や「新しい部分への到達」を感じられていればいいなと願う。
  • 2026年4月16日
    ダロウェイ夫人
    ダロウェイ夫人
    フェミニズムやクィアの視点を組み込む凄さは言わずもがな、本作を読んで感動したのは、意識の流れの中でPTSD患者の視点を描いたこと。 周りからは支離滅裂に見られてしまうが、本人の中では理屈が通っている。医師と患者という主従関係が時に患者を苦しめる。恐らくウルフは、それらのことを身を持って知っていた。
  • 2026年4月14日
    ヴァージニア・ウルフ エッセイ集(1003)
    ヴァージニア・ウルフ エッセイ集(1003)
    エッセイをもとに小説が書かれていたり、エッセイの中で語られるウルフ自身の考えが、小説の中の登場人物の内的独白として書かれていたりしている。エッセイを書くことが、創造の種を蒔くという意味でも重要な営みであったことが想像できる。 「ベネット氏とブラウン夫人」 物質的な環境ではなく、人物の内面を突き詰めなさいというメッセージ。モダニズム文学の在り方を示す。 「病気になるということ」 病気になることで得られる特別な時間と感性。理性が影を潜める代わりに、本能が研ぎ澄まされる、神秘的な体験。 「ロンドン散策——ある冒険」 ウルフと一緒にロンドンを歩いているような気分になる。このエッセイを読んで夜の街に出たら、世界が輝いて見えそう。 「女性にとっての職業」 家庭の天使を殺し、彼女自身が残る。でも彼女自身とは。男達は女性から彼女自身を奪ってしまった。 「傾いた塔」 かつての階級はなくなったが、資本主義の中で新たな階級が生まれている。これからの小説の行方は・・・。
  • 2026年4月9日
    無限の玄/風下の朱
    「無限の玄」も「風下の朱」も、ジェンダーを巡って起きてきた/起きている様々を、物語として巧みに昇華させていた。印象的な言葉が数え切れないほど沢山あった。 一つだけ疑問に感じたのは、千尋はなぜ死ななければならなかったのか。「玄さんの手を引いてやれる」というのは分かるのだけど、物語の構成として、なぜ?
  • 2026年4月5日
    日蝕・一月物語
    日蝕・一月物語
    奇書!平野啓一郎、初期はこんな小説を書いていたのか! 芥川賞を受賞した際に「三島由紀夫の再来」と評されたのは有名な話だが、単なる焼き直しではない。「もしも三島がゴシックロマンスを書いたら」「もしも三島がマジックリアリズムを用いたら」みたいな小説で、衝撃的な読書体験だった。
  • 2026年4月3日
    女神 改版
    女神 改版
    依子は周伍が敷いたレールから外れたことによって復讐に燃え、朝子は外れられないことによって後悔する。そして、依子の復讐と朝子の後悔によって周伍自身も苦しむ羽目になる。 男性の価値観を女性に植え付けることは、ある種の有害な男性性であるし、それは結局誰のことも幸せにしない。
  • 2026年3月30日
    喋る猫はいなくても
    発想や感受性が独特で、そんな著者の頭の中を覗き見ているようで面白い。日常の中でふと感じたことや考えたことを、こんなふうに文章にできたらどれだけ良いだろうと思うけれど、書いている当人は、そんなに楽しくないらしい。 猫=「時限爆弾付きの愛の塊」はまじで真理。
  • 2026年3月29日
    痴人の愛
    痴人の愛
    「僕の可愛いナオミちゃん、僕はお前を愛しているばかりじゃない、ほんとうを云えばお前を崇拝しているのだよ。」(p.46) という具合で譲治さんは終始キモい。非常にキモい。愛は狂気、いや、これを愛と呼ぶのか? しかし私も愛猫を崇拝し、日々言いなりになっているのだから、私も譲治さんでした。
  • 2026年3月26日
    壁とともに生きる
    壁とともに生きる
    『他人の顔』の章を読んだ。 『他人の顔』は、「社会的な自分」を失った主人公が仮面を被ることでそれを取り戻そうとする物語なのだと、頭の中で整理できた。 人間は「自分の思う自分」だけでは存在理由になり得ず、どこまでいっても社会的な存在でしか在り得ないのか。なんだか切ないような。
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