死の形而上学

死の形而上学
死の形而上学
吉沢文武
柏端達也
慶應義塾大学出版会
2026年6月19日
6件の記録
  • はづき
    はづき
    @stray_night
    2026年8月9日
    すっごーーーーーーーくおもしろかった✨ あほだから解釈違いかもしれないけれど、 語らせてください。 一般論で死は剥奪だから悪みたいな感じではじまるのですが、私は生きたいと思ってないので、理解できないのかなと読みはじめましたが、積極的に生を推奨するわけでも死を推奨するわけでもない。 ただただ俯瞰を徹底しているのがよかった。 何点か疑問に思ったことがあるので、ここに残します。 ①愛する人の死、例えばお葬式でみんな泣く。これは愛する人が死という最大の不幸にあったから泣くのであると書いていて果たしてそうなのかなと。 →私は愛する人を失った自分が寂しいだけ、悲しいだけ、可哀想なだけなのかなという感じがする。あくまで自己中心的な涙というか、自己満の涙。もちろん私も大切な人のお葬式で泣いていたけど、それは相手の不幸を思ってっていうものでもではなかったと思う。捻くれてるかな?死は救済っていう価値観も少しあるから、若干あれかな。私が変。 ②死がどれぐらい不幸かは、あくまでそれまでの人生で得てきた幸福が普通の人生にとって十分量であるかという点による。 →大納得すぎるよ〜!!!幸福であればあるほど、死は不幸なんだね。すごく勉強になった。 ③死ねば楽になると言いますが、果たしてそうか?死んだら楽になったことすら、何も感じ取れなくなるよという話。 →それはそうなんだけど、むしろ私はもう何も感じたくない。昨今、特に情報量が多すぎる。感じようとしなくとも、暑い、寒い、冷たい、甘い、眩しいとか、生きてるだけで強制的に何かを感じ取らされてる。そこから更に社会で、SNSで、でんでん疲れる。これも私が変か? ④あくまで常識的に『生まれてこない方がよかった』という主張の"奇妙さ"を〜 →この考え方は奇妙だったのか!と新発見。私は最初から違和感がなかった気がする。例えばドラマか漫画かTwitterとかで『生まれてこなかったらよかった』みたいなセリフをはじめて見たとき、今みたいに希死念慮があるわけではなかったけど、そういう人もいるよねと納得していた。もしくは、当時から言語化していなくても、自分にもそういう気持ちが内在していたからなのか。 ⑤永遠の命が欲しい人なんてほとんどいない。ただ、何歳で死にたいと聞かれると80-100を指す人が多い。何歳で死にたいか?と、その都度なされるもう死にたいか?は別。後者は否定するという話。→昔の物語でもよく不死の薬とか、永遠の命に憧れてる人って多かったと思う。それは、医療も発達していなくて、寿命が短く、健康な体なのに死んでいったからではないか?(病気、戦争、飢餓等で) 健康寿命のような話で、老いぼれた体で生き続けたい人はいない。予想ではあるけど、若い体の身体機能や容姿のままならば生き続けたい人も多いのではないかと思う。 別に生きたいと思わないのでそこらの機微がわからないが。 はぁ〜!!! 答えのないことについて考えるのって楽しい!! パンピーの私にも知恵を授けてくださり、ありがとうございます! 今でも哲学で飯を食うっていうのが凄いなあ、、、憧れるし、尊敬だ。 賢い人の話もっと読みたい、ききたい。
  • 余地
    余地
    @gap-6911
    2026年6月19日
  • 無花果
    @Zsasz09
    2026年6月18日
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