文学は実学である

8件の記録
- 寡読書家@kadokushoka2025年3月6日じゅうぶん読んだタイトルに惹かれて購入。名文連なる短編をしみじみと感じ入りながら読み進めてきたが一つの短編から先に進めなくなった。生身の人が生きる世に美や物語を見出す文学は私の光であったけれど、その行為が抱え得る身勝手さ罪深さに砂を噛む思いで本を閉じた。あの短編を書いた人物の文を私はもう十分に読んだ、ここまででよい、これ以上はなくてよいと明快に納得した。文を介して向き合う著者と私は時代や来歴や思想思考を共有しえない赤の他人同士で、このような読書体験もまた現実であると再確認。学びの大きい出会いだった
- たま子@tama_co_co2025年1月16日読んでる@ 自宅エッセイを読んでいると、自分の奥からも言葉が湧き出てくる、ということがある。読んでいるのに、自分の記憶や思索に寄り道してしまい、本から迷子になる。書きたくてうずうずし出す。たまらず本を置いてノートに向き合う。そういうエッセイがあって、荒川洋治のは、格別そうだと思う。
- たま子@tama_co_co2025年1月15日読んでる@ 自宅「人はことばに対し、ときにはたった一人で、そこまで行かなくてはならないのだと思う(…)詩は読者にも作者にも見えない。でも自分の周囲を、ほうり出し、たった一人になってみれば見えてくるものもあるのだ。詩は、続く。一人で続く。」ー『文学は実学である』荒川洋治