ダブル・バインドを超えて

ダブル・バインドを超えて
ダブル・バインドを超えて
浅田彰
南想社
1985年11月1日
6件の記録
  • どび
    どび
    @Whodobe
    2026年7月14日
    面白かった。 ダブルバインドを相対矛盾的にやり過ごすことが日常へ帰る為のダブルバインド的治療であって、突き詰めていくと、日常を脱出するための宗教的ダブルバインド的治療とぶつかっていく、この治療同士の、あるいは筋トレ的な衝突の瞬間があるなと思った。 キルケゴールやニーチェやサルトルを読んで、吸収しても、うまくやるしかないし、それはフッサールやショーペンハウアーでもそうで、うまくやる領域と、信仰の領域の線引きが人によって違うんだ。 うまくやる領域はやっぱり負い目からかくれていて、かくれんぼ出来ない時があるんだな。
  • どび
    どび
    @Whodobe
    2026年7月14日
    まず最初に、メビウス的な運動を繰り返す生成の世界を考える。我々はそれを単層的な構造をもつ存在の世界の中に押しこもうとするのだけれど、必ずどこかで無理を生じ、逆説的な襞を寄せるところが出てくる。それがダブル・バインド状況にほかならない。それは日常的には適当にやり過ごされるが、逆に、生成の世界に向かってワープするためのきっかけとして用いられることもある。ただし、悪くすると、そこから分裂症という袋小路に入りこむこともある。ざっとこんな具合です。 こういう観点からいえば、相対矛盾的にやり過ごすことで病気を治すというのは哲学的なアポリアに立ち向かっている人をあえて凡庸化するということにほかならず、逆に、絶対矛盾的なワープにおいて目指されているのは超病気としての悟りだということになるでしょう。もちろん、何度もいうように、ワープが成功することは極めてまれで、たいていは悲惨な結果におわるというのが現実だと思います。ただ、ここでいっているのは、ダブル・バインドが哲学上ひとつのチャンスと考えられる、ということなのです。110-111p ⤴︎(´ºωº`)
  • つう
    つう
    @mot2tom
    2026年7月1日
    ダブル・バインドは日常に溢れている。精神は日々、これらを何らかの方法でやり過ごし脱出し、また、生み出している。そして、病んだり成長したり、病ませたり成長を促したりしている。スパイラルな生成過程、あるいは動的平衡メカニズムの中にある。
  • つう
    つう
    @mot2tom
    2026年6月28日
    「人はダブル・バインドな状況に耐えられないことがある。私はそのような人に対して、ダブル・バインドな状況を作り出してしまった。」 私は人間関係を何度も失敗した訳だが、その内のいくつかは以上のように説明できるのかもしれない。
  • つう
    つう
    @mot2tom
    2026年6月27日
  • 分裂症の三類型(妄想型・破瓜型・緊張型)は、矛盾したコミュニケーションへの異なる適応様式であり、それらの治療とは矛盾を消すことではなく、日常へ戻りながら相対矛盾を柔軟に往還する力を回復すること。西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一は、有と無の対立を超え、矛盾そのものを世界成立の根拠と考える点でベイトソンを哲学的に補強する。またラカンのボロメオの輪も、象徴界・想像界・現実界が相互依存する構造を示し、二元論を超える視点として扱うことができる。メルロポンティの「両義性」でも似たことを解釈できるなと思った。その中でコケットリイは、矛盾、対立、両義性、相反する態度を解消せず保持しながら新たな関係や意味を生み出す実践として位置づけられていると思う。ダブル・バインドを創造性へ転換する姿勢なんだろう。ダブル・バインドは統合失調症の原因だけでなく、人間や社会に遍在する「生成」の構造として捉え直すことができる。
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