しらふで生きる 大酒飲みの決断
13件の記録
L@mayoibashi2026年3月23日読み終わったまずはじめに私の意思を申し上げる。断酒しようとは1ミリも思わない。ふわふわと脳が酒漬けになり、空き缶を積み、愚にもつかないよしなしごとを語らった翌日便器に頭を突っ込んで「二度と飲むものか」と恨み言と共に胃の内容物を吐き出したとしてもだ。その日一日は殊勝な態度でいても、週末になると「酒が飲める飲めるぞー酒が飲めるぞー」と歌い出し、近所のスーパーで6缶パックを買い物かごに放り込み、簡単なつまみをいそいそと用意しながらキッチンでプルタブを引く。「今この瞬間を全力で楽しもうとする自分」に既に酔っている。そう、飲酒はとても気分が良い。 本書はマニュアル本ではない。というかマニュアル本なら手に取らない。断酒をしている人の本、それも大酒飲みを自称している人が書いている断酒本である。筆者はやめたきっかけについて正気を失った。「ただなんとなく」飲み始めた酒は「ただなんとなく」でやめれるものなのかということに興味が湧いた。 読んでいくうちに冒頭で書いた意思表明がぐらつく。しらふでは狂えないから酒を飲み、調子に乗る、乗りすぎて後悔する、そして懲りずに飲む。飲んでいない日々に蓄積されていく鬱屈さで身体が文字通り重く感じる。悪循環である。するとどうだろう。飲酒のみならず喫煙も極端な不眠・過眠もその悪循環の一角に担い、それらの行為が命の前借りであることに気づく。別に長生きをしたいとは思わないが、「理想の死に方〜ある晴れた日に縁側で眠るように〜」から遠ざかっていくような気さえしてくる。そして遂にはそっち(断酒して人生面白くなる)側の人間になりてーな、などと手放しで憧れてしまった。あーあ。

読書猫@bookcat2025年4月24日読み終わった(本文抜粋) “自分は普通の人間である。これが自己認識改造の第一歩である。これは、ものすごく自意識過剰な人は別だが、特段、難しいことではないはずだ。 私たちはここから出発する。” “小説の場合で言うと小説というのは原因と結果の連鎖で成り立っている。ひとつの原因に対して小説の中の現実の諸要素が反応してひとつの結果が生まれる。その諸要素というのは作者によって取捨選択される。ところが、脳髄のアクセス路があまりない場合、この諸要素の数が大幅に減ずる。現実の諸要素は無数である。よって大抵の事実は小説より奇である。しかるに脳髄のアクセス路がないため、せいぜい十、下手をしたら三とかそれくらいの諸要素によって結果を生んでいるので、読者は「ありえねー」若しくは「つまんねぇ」以外の感想を思いつかない。”















