悪について

悪について
悪について
エーリッヒ・フロム
渡会圭子
筑摩書房
2018年1月10日
9件の記録
  • 益田
    益田
    @msd
    2025年5月24日
    「集団的ナルシシズムは個人のナルシシズムほど認識するのが容易ではない。誰かが「私(そして自分の家族)は世界一すばらしい人間だ。私たちだけが清潔で、知的で、善良で、上品だ。他の人はみんな汚れていて、愚かで、不正直で無責任だ」と言えば、たいていの人はその人が粗野で、バランス感覚に欠けており、正気でないとさえ思うだろう。しかしこの狂的な人間が、大勢の聴衆に向かって、“私”や“家族”を“国家”(あるいは民族、宗教、政党など)に代えて語れば、彼はその国や神などへの愛に満ちた人間として賞賛され尊敬されるだろう。しかし他の国家や宗教はそのような演説を聞けば、見下されたと感じて憤慨するはずだ。それでも持ち上げられた集団の内部では、全員の個人的なナルシシズムがくすぐられ、何百万もの人々が賛同しているのだから、それが正当なことに思える(大部分の人がそれを“正当”だと考えるということは、全員ではないとしても、少なくともかなりの数の人が贅同していることを意味する。大半の人にとって“正当”であるということは、理性ではなく世論の問題なのだ)。集団が全体として、生き残りのためにナルシシズムを必要とする限り、さらにナルシシスティックな姿勢を助長し、自分たちが特に立派な存在であるという特権を与える。」(p105-106)
  • 益田
    益田
    @msd
    2025年5月16日
    「ふだんの生活では悪いことより良いことを多くしているはずだ。そのような人がひとたび何百万人を支配し、強大な破壊兵器をコントロールする権力を持つ立場につくと、大きな害をなすことがある。市民生活のなかでは競争相手を破滅させるくらいですむかもしれないが、現在の大きな力を持つ主権国家(ここで“主権”とは国家の行動を制限する道徳律にしばられないことを意味する)が並び立つ世界では、人類を滅亡させる可能性がある。人類にとって本当に危険なのは、並外れた権かを持つふつうの人間であり、悪魔やサディストではない。 しかし戦争に武器が必要なのと同じで、何百万もの人々に命を危険にさらすよう仕向け、彼らを𓏸𓏸者に仕立て上げるためには、憎悪、義憤、破壊性、恐怖心が必要になる。こうした激しい感情は、戦争を始めるのに必要な条件である。」(p19) 「ここで人間の性向のなかで、もっとも堕落し危険な形態の基本をなすと思われる、三つの現象を選んでみよう。それらは死への愛、悪性のナルシシズム、そして共生・近親相姦的固着である。これら三つの性向が組み合わされると“衰退のシンドローム”が生じ、人を破壊のための破壊へ、憎悪のための憎悪へとかりたてる。“衰退のシンドローム”の対極にあるものとして、私は“成長のシンドローム”を説明しようと思う。これは生への愛(死への愛の反対)、人間への愛(ナルシシズムの反対)、そして独立(共生・近親相姦的固着の反対)からなる。これら二つのシンドロームのどちらかが最大限に発達するのはごくわずかな人だけだ。けれども誰でも自分で選んだ方向ー生か死、あるいは善か悪かーへと進むことは否定できない。」(p20)
  • 益田
    益田
    @msd
    2025年5月16日
  • さぼてん
    さぼてん
    @jin___
    2025年5月16日
  • non
    non
    @mkn_05_
    2025年3月11日
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