ナショナリズムと政治意識

10件の記録
- 益田@msd2025年8月20日「自国の伝統文化をその豊かな自然と牧歌的風景の中に求め、その生活様式こそが自分たちの本来の生き方であり文化であると主張する場合、ナショナリズムと環境主義は手を取り合うことになる。「『私たち』の山や丘、私たちの川や瀬や草原、それらの格別な美しさを賞賛しないナショナリズムなど考えられない」とはナショナリズム研究の第一人者スミスの言だ。環境主義からみて、ナショナリズムは、ありうべき自然と調和した自分たちの本来的な生活様式を回復しようとする運動となり、ナショナリストにとって環境主義の主張は自分たちの生活様式の姿を提供する原理となる。祖国の自然と環境を取り戻せ、というたぐいの主張が生まれる時、ナショナリズムと環境主義はむしろ同じ方向を向くことになる。この現象は、「エコナショナリズム」「環境ナショナリズム」 「緑ナショナリズム」(Eco-nationalism/Environmental nationalism/Green nationalisn)などの様々な名称のもとで、学術的にも議論されている。」(p117)
- 益田@msd2025年8月20日読み終わった読了 ナショナリズムが右翼的排外的なワードではないということを紐解いてくれる本。筆者の価値判断や主観はかなり少なくて良かったです! ナショナリズムは国や時代の移り変わりで姿が変わるし、左右は政治・経済だけでなく、社会文化(GAL-TAN)的争点を見なければいけないくらい多次元的になっているのは学びがあったし、思い当たるところもあった。データで読み解いていくので興味深く読めました。左右・リベラル・ナショナリズムとの関係は国によって姿をかえ、相互の結び付きも大いに異なることを考えると一概にこうだ!というのは難しい事だな〜…。 ナショナリズムについて振り返りたい時に読み返したい。 環境保全との関係性についてはなんとなく考えていたので、こういうアプローチも大事かもしれないと思わされた(利己的な今の私たちに環境保全が出来るかは置いといて…)
- 益田@msd2025年8月18日読んでる2章メモ ・歴史的に見てナショナリズムを利用したのは右翼だけでなく、フェミニスト・社会主義者・アナーキスト・共和主義者・世俗主義者などの勢力も利用している→日本の戦後は右派以上に左派が"民族統一"などのワードを使用していた(軍国主義の打破し、社会的連帯をめざすために) ・ナショナリズムは、政府と人々の関係そのものについては多くを語らない。ナショナリズムが気にかけるのは、国家と人々の関係を議論する土台ともいえる人々の社会的なまとまり(共同体)が、どのような単位でどのような人々によって担われるべきかに関して何かを主張する→誰が所属できて誰が所属できないかを論ずる。 →ナショナリズムにはエスニック(民族的)な紐帯を基盤とする要素が避けがたい要素として含まれている。それが前面にでるか後退してるかは主義主張次第。 ・ナショナリズムを構成する三要素、ナショナルプライド(誇り)とナショナル・アイデンティティ(帰属意識)とゼノフォビア(排外主義)があるが、その結び付きはさほど強くない。しかし社会がより開放的になるほど排他的な信念を持つ個人の中では、アイデンティティと排外性を強固に結びつける指摘がある。→「ナショナリズムを構成する諸要素の結びつきは複雑でニュアンスに富んでおり、簡単に「すべてのナショナリズムが排外性を帯びる」とも言い切れなければ、「自国を愛することと排外的になることは違う」とも言い切れないということである。」(p52) ・左右といっても(大雑把に)経済次元の左右もあれば社会文化次元の左右もある→自身の中にある左右の定義をしっかりしないと現実社会の議論で混乱のもとになる! 左派が平等という価値観を重視しているからといって右派が不平等に価値をおいている訳ではない→人々の才覚や能力・美徳などの自由に重きを置いているパターンもある →いずれにしても伝統と平等が国際比較的には左右認識の中核である
- 益田@msd2025年8月18日読んでる3章メモ ・日本においてナショナリズムは右派の論理として受容されている風潮がある ・「日本の有権者の、ナショナリズム関連意識の結びつきをその程度に応じて大きく分けると、ナショナルプライド/愛国心と排外主義を中心として、2グループに分類できそうだ。日本が好きという素朴な帰属意識はナショナルプライドと強く関連しているが、中国嫌いに代表されるショービニズムや排外主義とは相関関係がない。ナショナルプライドはエスニックな日本人要件と相関しており、無視できない程度には排外主義とも相関している。ただし、排外主義感情は民族的ナショナリズムや反中意識のショービニズムとの両方でより強く相関している。」(p93) ・ナショナルな意識は右派に結びつく国が相対的多い(日本もそう)が、ナショナルな意識が政治的な左と結びついてる国は相当数ある。 →左の観念と「平等」が結びついて、右の観念と「伝統」が結びついている。ナショナリズムは伝統と平等どちらも包含する概念なのでどちらとも結びつく。→国民国家像を強化する保守の原理であることもあれば、現行の政治体制に立ち向かう革新の原理になるケースもある。 「もっと言えば、両者が特に明確に結びつかないパターンもある。(中略)半分程度の国では、ナショナルな意識が強いか弱いかということと、人々の政治的な左右認識はつながっていない。そういった国々で、仮にナショナリズムの高まりや、そういった政治的主張の高まりが見られたとしても、それは右傾化とはいいがたいだろう」(p97)
- 益田@msd2025年8月17日読んでるナショナリズムとは、一言で言ってしまえば、同じ文化を共有する人々がいるという言念のもと、そういった同じ文化の人々で公的な営みを進めていきたい、という意識や運動のことである。本書が全体を通じて示したいのは、ナショナリズムに関わるような主張は多様性を持つ政治の意識であること、そしてまた、現代の政治を読み解く選となっているということである。実際、研究者の間では「ナショナリズムは自身の政治色を持たない」(中略)などと表現されることがある。 政治の対立や争点を、単純な左右の一つの評価軸だけで見ているとわからないことがたくさんある。そこに、ナショナリズムという別の次元を補助線として用いることで、現代の政治的対立への理解がクリアに見えてくることがある。もちろん、潜在的に使える補助線の中には、ナショナリズム以外にも様々なものがあるのかもしれない。しかし本書では特にナショナリズムとのつながりにフォーカスを当ててみることで、現代政治を彩る様々な政治現象を見ていくことにする。 よくある「右翼≒ナショナリズム≒反リベラル≒権威主義」といった連想だけでは説明できない現象が多々あること、そういった連想が時に根拠に基づかない思い込みであることを示すのが本書のゴールである。もう少し正確に言えば、そうした連想がつながる国や時もあれば、そうではない国や時もある。それを示すことが着地点だ。(p20-21)