中世への旅 騎士と城

中世への旅 騎士と城
中世への旅 騎士と城
ハインリヒ・プレティヒャ
Heinrich Pleticha
平尾浩三
白水社
2010年2月5日
19件の記録
  • Magmel
    Magmel
    @magmel
    2026年6月26日
  • 🧸
    @Shh0_0
    2026年6月14日
    中世騎士とその家族の衣食住について。 ドイツの話が多かったけど、後半は十字軍についても触れていて面白かった。
  • 木村久佳
    木村久佳
    @kuCCakimura
    2026年5月17日
    騎士って聞くとなにかとテンション上がる セーラームーン世代でありCLAMP世代であり種村有菜世代
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年5月3日
    「騎士」なるものの実像について、当時の詩人などの言葉も引いて描いており、単純に分かっている事実を述べるタイプの記述に比べて活き活きとした「騎士像」が描かれていて非常に面白かった 騎士という存在は当時の生活の中にあったという手触りがする本
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年5月3日
    十字軍騎士となることで、騎士に罪の許しと現世利益が与えられた 聖都に至る道の警備からテンプル騎士団が興る→寄進により増加した財産をもとに金融事業を始め、さらに財力を得る→時のフランス王が財産を目当てにテンプル騎士団を異端に仕立て上げる 病気の巡礼者の病院がヨハネ騎士団の興り→現在も命脈を保つ 十字軍騎士の救済活動からドイツ騎士団が興る→ポーランドの要請によりプロイセンの制圧で発展する→のちにポーランドとの戦闘に敗北し没落
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年5月1日
    出兵義務に従わなかった騎士は騎士としての保護を停止され領地も剥奪されうる 招集状には名誉の話もあるが目的は報酬であることも多い 前衛隊、本隊 (輜重や非戦闘員も含む)、後衛隊 7~9月は戦闘向きの季節、12・1月の戦闘例はほぼなく、日曜の戦闘は多くの懸念が表明される一方で土曜は戦闘日として好まれていた 旗が沈むとき軍は遁走するか降伏する→旗車の広まり 騎士戦の詳細な展開は不明 勝軍は敗軍を追跡するのではなく、戦場を占領することを重要とする 従軍した医師の治療はまずい物がかなり多かった 教会は国同士の争いの抑止に動く
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年4月28日
    攻城機械1つに100名近い人員が投入されることもあった 投石器の命中率は高く、大きな被害をもたらすが、これだけで勝負がつくことはほぼ不可能 石以外のものを撃ち込むこともある (動物の死骸や排泄物、燃焼物など) 勝利の見込みのない戦いにおいて守備側が和平交渉を望むこともある (略奪と殺戮のため) 降伏した者は行列をなし、懺悔服を着て、首に剣・縄をさげて罪を認める
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年4月27日
    正式な騎士の戦いの前には宣戦布告 (挑戦状) がある、ひとつの都市に約7000人もの挑戦状が送られていたケースもある 攻城戦の多くは攻撃側の不意打ちで始まるが、奇襲や裏切りが成立しない場合は長期化する 籠城の心得 ... 兵糧、水の確保、(士気を保つための) 酢やぶどう酒、硫黄・ピッチ・油、木材や補修用の鉄 穀物の収穫前である夏が、城を攻撃する時期として特に選ばれた (兵糧攻め) 地下に道を掘るのは常套の手段
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年4月26日
    トゥルネイは危険性が高く、次第に消えていき、危険性が低い別の騎士競技が残った 決闘により身の証を立てる権利、裁判官の前で行われる行為 原告側が決闘に敗北した場合は、被告側が受けるべき罰を原告側が受けることになる
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年4月25日
    トゥルネイ (団体騎馬試合) の厳密な意味は定まっていない ひとつのトゥルネイに4000名もの騎士が参加したケースもある トゥルネイ開催はちょっとしたお祭り (友人を作ったり、お見合いをしたり) 名誉と賞賛のためのゲームであり、最も勇敢で秀でた者を優勝者として選ぶ その他、テョスト(トゥルネイの前の一騎討ち)、ブーフルト(ぶつかり合い) 教会はトゥルネイに否定的
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年4月24日
    騎士の武器は剣であり、短剣や斧などは相応しくないとされる 「剣を十字架になぞらえて宣誓」みたいなのは現実にはなかった 盾の重さを支えるために手で持つだけではなくベルトで首から吊していた 兜・鎧20~kg、剣~3kg、槍・盾~10kg以上、さらに装飾
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年4月23日
    当時の鎧は鎖帷子、手先は手袋になっており手首に手を出す裂け目がある 鎧の上から羽織る軍衣には外観の他、湿気や日光による加熱から鎧を守る意味があった 兜を被ると区別が付かなくなる→兜飾りの登場→様々な形状のものが生まれる 窒息死の例もある 鉄甲鎧の時代になると衣装の流行が鎧にも模倣された
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年4月19日
    騎士の時代にドイツの文芸は隆盛を見、その時代の歌人もまた騎士身分であることが多かった 英雄叙事詩: 民族移動時代の伝説を元にする 宮廷騎士叙事詩:フランス文芸を元にする いずれもドイツにおける騎士文化の形に洗われている
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年4月18日
    12歳になるとクナッペ (騎士見習い) となり、接待やお供など他の奉仕が始まり、戦場にも送られる 女子は主婦として務まるよう家事や裁縫、医術を学ぶ 貴婦人は一人で外出せず、男性とも滅多に顔を合わせない
  • miko
    miko
    @miko88
    2026年4月17日
    騎士の子息は7歳頃から教育が始まり、武芸を学んだり、作法や行儀の家庭教師をあてがわれる 読み書きが出来るものは少ないが、修道院付属学校などで学ぶことが出来た
  • 東京堂書店 白水社フェアの一冊。中世が未知すぎたから。『都市と庶民』『農民戦争と傭兵』もある。
  • 本野
    @book_no
    2026年1月17日
  • W7Ed
    @4nTeG00N
    2025年8月1日
  • 灰猫の本棚
    灰猫の本棚
    @highneko
    2025年5月28日
    文句なしに興味深い資料
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved