プロレゴメナ
12件の記録
柿内正午@kakisiesta2025年4月23日オング『声の文化と文字の文化』と併読してることで、カントが試みる悟性と理性の切り分けの意義を考えやすくなっている気がする。悟性とは経験的で文脈依存的な声の文化であり、理性とは超越的で独我論的性格をもつ文字の文化である。第四一節にはこうある。 “理念すなわち純粋理性概念とカテゴリーすなわち純粋悟性概念とを種類、起源および使用に関してそれぞれまったく異なる認識として区別することは、これらのア・プリオリな認識のすべてを含むところの体系を志すような学の基礎を確立するために極めて重要な仕事であり、かかる分離を怠ると形而上学は絶対に不可能であるか、或いはせいぜい筋の通らない不様な試論でしかないであろう。それはあたかも取扱う建築資材の性質も知らなければ、またこれらの資材がどのような目的に使われるのかも知らずに、これを用いて厚紙細工さながらの脆弱な建物を組立てるようなものである。「純粋理性批判」は、この区別を最初に明らかにしたというささやかな業績だけでも、それによって形而上学に関する我々の概念を解明し、またこの学の領域における研究を正しく指導するために寄与したことは、純粋理性に課せられた超越的課題を解決するためにこれまで費された一切の空しい努力にまさるものがある。形而上学においては、昔からかかる不毛の努力がなされてきたのであるが、その場合にこの学の研究者たちは、自分が悟性の領域とはまったく異なる領域にあることを嘗て思いみることをしなかった。それだから悟性概念と理性概念とを、あたかも同一種類のものであるかのように思い誤って、この二つの名を一筆に書き下したのである。”






柿内正午@kakisiesta2025年4月18日読んでる(読んでも伝わらない読書メモ) 悟性-カテゴリーと理性-理念の切り分けは、カントにとっては後者の行き過ぎを抑制するという側面のほうが強く出ているけれど、現代社会においてはむしろ、行為への偏重が進行し——つまり悟性による理性の圧倒があり——理念の弱体化こそが問題になっているような気がする。 理性の主観性を客観性と取り違える、その取り違えの質こそが問われているともいえる。誰もがとりあえず信を置くような理念が弱まった結果、理性の暴投はだいたい粗悪な陰謀論に行きつく。なぜそれらが粗悪かというと、超越的な理念へと行きつかず、どこまでいっても行為-結果の世俗的世界観(内在)から脱することはないからで、これはつまり理性への信頼自体が低下して、悟性の圧倒という事態のなかでの理性の暴走という感じがある。かといって、超越しちゃえばいいじゃんともいえないかんじもあり……






柿内正午@kakisiesta2025年4月14日読んでるカント。久しぶりに捗る。本棚を整理して、いま読んでいる本のコーナーを思い切って削ったから、すっきりとした見通しが立ってきた。カントと石牟礼道子に集中してしまおう。カントの伴走に、これもまた途中で寝かして気がついたらずいぶん経っている『社会秩序とその変化についての哲学』を布陣して、石牟礼の側にはマクルーハンとオング。そのあたりの四、五冊にいったんがっつり取り組んでいく——四、五冊で片付いて感じるというのは最近の多読濫読の散らかりっぷりがよくわかるが——ほうが健康によさそうだ。鉛筆で「カント 文-形式 批評」「石牟礼 声-自然 反散文」と書く。まだまだ粗く、未整理な図式だ。抑制とざわめき。理論-実践の図式と、それに収まらない身体のリズムへの意識を両方同時に考えてみたい。






柿内正午@kakisiesta2025年3月5日読んでる昼休みはカント。こちらも一週間くらい空いてしまった。こういう、錨のように毎日に打ち込む本があると助かる。いつものリズムでほんの数分でも読むことができれば、ああ、日常の習慣へと戻ってこれた、と思える。遠出の疲れと寒さの戻りで、もうだめかと思っていたけれど、大丈夫そうだ。またやれる。乱れても、またふだんのリズムで。







柿内正午@kakisiesta2025年2月14日読んでる“ところでもし読者が、この課題を解決する私の遣り方は厄介で骨が折れると言って不平を訴えるなら、彼は私の仕方よりもっとやさしい仕方でこの問題の解決を自分でやってみるがよい、そうすれば恐らく彼は、これほど深い研究の仕事を自分の代りに引受けてくれた人に感謝するだろう、そして事柄の性質にかんがみて、私の解決のほうがまだしも平易であることがわかり、いささか驚嘆の念を表明するであろう。完全な普遍性(数学者はこの語を、すべての事例に対して十分であるというふうに解しているが、それと同じ意味で)をもって〔普遍的に〕解決し、ついに読者が本書で見られるような分析的な形〔分析的方法による説明の〕で提示できるようにするためには、実に多年にわたる努力が必要だったのである。” p.59 カントは日に二ページくらいのペースで、とにかく五分は触るというのをしてる。引き続き、難しくて読めないって言われたことをめっちゃ気にしてる。




柿内正午@kakisiesta2025年2月4日読んでるヤギの睾丸が終わってしまったので、本格的にカントに戻る——つまりリュックにこれしか入れない——のだけれど、なんか今日は頭に入ってこない。悪党の話とかもっと読みたい。

柿内正午@kakisiesta2025年1月30日読んでる『純粋理性批判』の刊行後、二年くらいしてからカント自身が書いた解説書。今でいうと学術出版を経て、一般向けに噛み砕いた新書が出るみたいな感じだけれど、カントの場合、編集者に打診されたわけではなく、読者から「わからん」「難しい」と言われすぎて、さらには自分の理解の範疇に収めようとした結果見当違いのいちゃもんをつける者も頻発して、さすがにムカついたから書いたのだと序文に書いてある。けれども、「ぶっちゃけあれは自分でも読みづらいと思うけど」と吐露していたりしてチャーミング。









