1973年のピンボール (講談社文庫 む 6-2)

18件の記録
- トマーシュ@vulna01052026年4月5日読み終わったいたる場所で、人間は苦悶している。 そのことは僕に勇気を与えてくれるか。 村上春樹の小説は意外と寄り添ってもくれるのだ、と感じた作品。 物語はさっぱり分からないけど。
小石川@mkgaogao2026年3月19日読み終わった@ カフェ26/11 「遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える」ように描かれている小説だと思った、景色や物事をたくさん装飾して綺麗に見える文章が並んでいるけれど、近づいて(中心に向かって)見てみると書いてあることは孤独、無力感、無意味な効率化、取り残される寂しさなど、進行形で失われているものたちへの憧憬みたいなものに思える 「多かれ少なかれ、誰もが自分のシステムに従って生き始めていた。それが僕のと違いすぎると腹が立つし、似すぎていると悲しくなる。それだけのことだ」という一文にいつも感激する、こんなふうに書けるとわかったらきっと小説を書くだろうなと思う 鼠はこの作品で、街を去るとジェイに伝える前に、ジェイとの会話で自分の「弱さ」についてちゃんと伝えているのに今さら驚いた。 変化は崩壊の過程に過ぎない、そしてその無に自ら飛び込んでいく人々にも社会にも、もちろん街にも、好意なんて持てなかった。だが、自分の弱さゆえに、変化を求めてしまう自分について、ジェイにだけ素直に告白している。「僕」とはこれについて話すのはきっと『羊をめぐる冒険』の最後だし、ここまで明確な話にならない、というようなことに気づいた
活字畑でつかまえて@catcher-in-the-eye2026年3月16日傑作。 鼠3部作の2作目. おそらく初読から20年以上ぶりの再読。 「風の歌を聴け」はけっこう覚えていたけど 今作の内容はほぼ忘れていた。 『風の歌を聴け』と比べると情感があり より人間味が出てきたぶん 親しみがある。 「高い窓からルーベンスの絵のように差しこんだ日の光が、テーブルのまん中にくっきりと明と暗の境界線を引いている。テーブルに置いた僕の右手は光の中に、そして左手は翳の中にあった。」 あまりにも素晴らしすぎる文章。 これだけで100点。 「何もかもが同じことの繰り返しにすぎない、そんな気がした。限りのないデジャ•ヴュ、繰り返すたびに悪くなっていく。」 これもまた素晴らしい。 その後の村上作品で重要なモチーフとなる「井戸」が出てくる。すべてはここからか。 電車に轢かれ何千という肉片となった井戸掘り職人。 そして直子という名のガールフレンド。 鼠が大学を辞めた理由もいいな。 「中庭の芝生の刈り方が気に入らなかったんだ」 「お互い好きになれなかったんだ。俺の方も大学の方ももね」 「良い質問にはいつも答がない。」 鼠の孤独がただただ痛ましいまでに切ない。 でも他人に簡単に分かられてたまるかという孤独だ。一人で抱え込むしかない。 そしてジェイ。 実は彼がいちばん孤独なんじゃないか、と思う。 双子は一体なんだったんだろうな。 工業製品のようだし 未来の世界の猫型ロボットのようだ。 死んでるような気もする。 「僕」がゴミ捨て場から拾ってきた人形。 それにしても傑作。 それは間違いない。 作中で〈僕〉が読んでいた本 カント「純粋理性批判」 以上。










