
AKICHI
@akichi
- 2025年3月29日自分の「声」で書く技術ピーター・エルボウ,岩谷聡徳,月谷真紀疑うゲームと信じるゲームがあるとする。もしゲームがちゃんと成立すれば、信じるゲームの方が効果は大きい。しかし、信じるゲームは条件を成立させるのが難しいため、疑うゲームによる成長が過大評価されるのではないだろうか。 疑うゲームはひとりでも、あるツールがあれば実行可能である。それは論理だ。しかし、この論理というのもまた難しいよなと思う。だから「他者の力と論理の力」の両方に頼っていくのがやっぱりいいのではないだろうか。
- 2025年3月24日11% 彼らは誰ひとりとして「自分自身を知ろう」などという反省は決してしないことが容易に想像できる。 ↑たしかに、現代人の自分は「自分について理解が深まる」という感覚がある。もしくは「人間の心というのはこういう風になっているんだな」と少なくとも前よりは分かるようになるという感覚。自己防衛とか。 【メモ①】 「自分を持て」などという言い方がある。自己というモノだろうか。当時のギリシア世界において「自分を持ちなさい」などという感覚はあったのだろうか。なんとなく「自己」というのと「責任」というのは関係していると思う。責任を取らせるというシステムが出てきたことにより、そこに自己というのもが出てきたのではないだろうか。社会をつくるためには、人間を「社会のために動かす」必要があり、そのために色んなシステムが作られた。その中に「責任」というシステムがあった。しかし、考え方によっては誰も責任など取れないとも思う。 こんがらがってきたので、ここでストップ。
- 2025年3月15日
- 2025年3月15日
- 2025年3月13日教えから学びへ汐見稔幸p.128の(a)〜(f)のアクティブラーニングに関する記述。 (a)学生は、授業を聴く以上の関わりをしていること。 (b)情報の伝達より学生のスキルの育成に重きが置かれていること。 (c)学生は高次の思考(分析、総合、評価)に関わっていること。 (d)学生は活動(例:読む、議論する、書く)に関与していること。 (e)学生が自分自身の態度や価値観を探求することに重きが置かれていること。 (f)認知プロセスの外化を伴うこと。 *問題解決のために知識を使ったり、人に話したり書いたり発表したりすること。
- 2025年3月12日利他・ケア・傷の倫理学近内悠太P.83の宇沢本人にとってはケアだが、僕らにとっては利他に見えるという内容。これは、本人はそんなつもりなく普通にやってることが、誰かにとっては救いになるのと似ているように感じた。そして、それは「無理をしないやさしさ」になるのではないかと思う。興味。
- 2025年3月12日
- 2025年3月12日
- 2025年3月12日利他・ケア・傷の倫理学近内悠太「相手の大切にしているものをともに大切にする」 相手のことを思って「相手に嫌われてもいいから言う」というとき、果たしてどこまで相手の大切にしているものを大切にできているだろうか。確かに、何もせずに傍観している人よりはその人は相手のために動いているとも思う。しかし、相手をそのまま見守ることができないからこそ、動いてしまっているみたいなこともあるのではないかと思ったりする。お節介をして、仇で返されると苦しむ人をそばで見ていて。
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