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AKICHI
AKICHI
@akichi
  • 2025年3月29日
    自分の「声」で書く技術
    自分の「声」で書く技術
    疑うゲームと信じるゲームがあるとする。もしゲームがちゃんと成立すれば、信じるゲームの方が効果は大きい。しかし、信じるゲームは条件を成立させるのが難しいため、疑うゲームによる成長が過大評価されるのではないだろうか。 疑うゲームはひとりでも、あるツールがあれば実行可能である。それは論理だ。しかし、この論理というのもまた難しいよなと思う。だから「他者の力と論理の力」の両方に頼っていくのがやっぱりいいのではないだろうか。
  • 2025年3月24日
    生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる
    11% 彼らは誰ひとりとして「自分自身を知ろう」などという反省は決してしないことが容易に想像できる。 ↑たしかに、現代人の自分は「自分について理解が深まる」という感覚がある。もしくは「人間の心というのはこういう風になっているんだな」と少なくとも前よりは分かるようになるという感覚。自己防衛とか。 【メモ①】 「自分を持て」などという言い方がある。自己というモノだろうか。当時のギリシア世界において「自分を持ちなさい」などという感覚はあったのだろうか。なんとなく「自己」というのと「責任」というのは関係していると思う。責任を取らせるというシステムが出てきたことにより、そこに自己というのもが出てきたのではないだろうか。社会をつくるためには、人間を「社会のために動かす」必要があり、そのために色んなシステムが作られた。その中に「責任」というシステムがあった。しかし、考え方によっては誰も責任など取れないとも思う。 こんがらがってきたので、ここでストップ。
  • 2025年3月15日
    勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版
    5% しかし、あるとき、「別の可能性」を考えたくなるかもしれません。考えざるをえなくさせる出来事が、何か起きるかもしれない。マゾヒズムにも限度があるでしょう。限度を超えたストレスを受け続けているなら、どこかへ避難すべきです。しかし繰り返しますが、完全な自由はありえません。だから、どれほど苦しくて、自由を求めて逃げ出しても、それは「耐えられる範囲で不自由であるような別の環境」への引っ越しをすることでしかありません。
  • 2025年3月15日
    まなざしの地獄
    13% 彼らの階級的に規定された対他と対自のあいだには、はじめから矛盾が存在している。
  • 2025年3月13日
    教えから学びへ
    p.128の(a)〜(f)のアクティブラーニングに関する記述。 (a)学生は、授業を聴く以上の関わりをしていること。 (b)情報の伝達より学生のスキルの育成に重きが置かれていること。 (c)学生は高次の思考(分析、総合、評価)に関わっていること。 (d)学生は活動(例:読む、議論する、書く)に関与していること。 (e)学生が自分自身の態度や価値観を探求することに重きが置かれていること。 (f)認知プロセスの外化を伴うこと。 *問題解決のために知識を使ったり、人に話したり書いたり発表したりすること。
  • 2025年3月12日
    利他・ケア・傷の倫理学
    P.83の宇沢本人にとってはケアだが、僕らにとっては利他に見えるという内容。これは、本人はそんなつもりなく普通にやってることが、誰かにとっては救いになるのと似ているように感じた。そして、それは「無理をしないやさしさ」になるのではないかと思う。興味。
  • 2025年3月12日
  • 2025年3月12日
  • 2025年3月12日
    利他・ケア・傷の倫理学
    「相手の大切にしているものをともに大切にする」 相手のことを思って「相手に嫌われてもいいから言う」というとき、果たしてどこまで相手の大切にしているものを大切にできているだろうか。確かに、何もせずに傍観している人よりはその人は相手のために動いているとも思う。しかし、相手をそのまま見守ることができないからこそ、動いてしまっているみたいなこともあるのではないかと思ったりする。お節介をして、仇で返されると苦しむ人をそばで見ていて。
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