生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる

11件の記録
- AKICHI@akichi2025年3月24日11% 彼らは誰ひとりとして「自分自身を知ろう」などという反省は決してしないことが容易に想像できる。 ↑たしかに、現代人の自分は「自分について理解が深まる」という感覚がある。もしくは「人間の心というのはこういう風になっているんだな」と少なくとも前よりは分かるようになるという感覚。自己防衛とか。 【メモ①】 「自分を持て」などという言い方がある。自己というモノだろうか。当時のギリシア世界において「自分を持ちなさい」などという感覚はあったのだろうか。なんとなく「自己」というのと「責任」というのは関係していると思う。責任を取らせるというシステムが出てきたことにより、そこに自己というのもが出てきたのではないだろうか。社会をつくるためには、人間を「社会のために動かす」必要があり、そのために色んなシステムが作られた。その中に「責任」というシステムがあった。しかし、考え方によっては誰も責任など取れないとも思う。 こんがらがってきたので、ここでストップ。
- Aruiwa@atodeyomu2025年3月21日読み始めたまだ1章。 「心」をひとつの統一体としてみる考えはソクラテス以降であって、つまり心はメタファーとして発明されたそう。おもしろ! ソクラテス以前の心のあり方として、そのありえたかもしれないひとつの進化先にタコが挙げられていた。参照されていたのは『タコの心身問題』なのだが、偶然にも本棚で隣り合ってた2冊だった(そしてどちらも未読だった)
- いま@mayonakayom222025年3月16日読んでるかつて読んだ最近読んだことや聴いたことを振り返りながら、またぱらぱらと読み返すと、また新しく出会い直す箇所もあったりして、これこそ読書の醍醐味。