生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる
36件の記録
ジクロロ@jirowcrew2026年2月22日読んでる私の心は、世界の波打つリズムの振幅に常に揺れている。私は世界の広大なリズムと呼応し、またときに抗う。私はただ独りで私なのではなく、私に訪れてくるものたちと交する存在の波である。リズムは、どんな細な揺れであろうとも、私の身体の細部、表情や行為に干渉する。 …… 知覚は「波が浜辺の漂流物をとりまくように、世界が絶え間なく主観性をおそい、そして包囲しにくる」ことを前提にしてはじめて機能する。 …… 知覚は世界のただ中で起こっている。私が世界を知覚しているのではなく、いわば世界が私を通じて、私の内部で知覚している。私が見ているのではなく、世界が私の眼を通じて見ている。 (p.269 「メルロ=ポンティーー切り結ぶ心」) ムーミンパパは、海との苦闘の末、 これを鮮やかに解決する。 「そら、海はときにはきげんがよく、 ときにはきげんがわるいが、 それがどうしてなのか、 だれにもわからないだろ。 わしたちには、水の表面だけしか見えないからね。 ところがもし、わしたちが海がすきなら、 そんなことはどうでもよくなるんだ。 あばたもえくぼってわけさ……」 「じゃ、パパは、いまは海がすきなんだね」 と、ムーミントロールはおずおずとききました。 「わしはいつだって海がすきだったよ」 ムーミンパパは、むっとしたようにいいました。 (『ムーミンパパ海へいく』第7章 南西風) 生きているもの、自然、 それらを「問題」として捉えないこと。 「問題」には所有格が伴う。 その時点で非対称性が発動する。 「持つ者」の方が上であるという傲慢。 「持つ者」としての戦いに疲弊しきったムーミンパパは、その果てに「持たざる者」を選ぶ。 海を、自身の心から解放する。 そして、海のことがすきになる。 すると、不思議なことが起こる。 パパが海(世界)を知覚しているのではなく、 いわば海がパパを通じて、パパの内部で 知覚しているーーそうやって、海は心を開く。 「島」を守ろうとするのも、「海」に抗うのも、 そもそも不可能事だということ。 "それは、ありのままに在ることを信頼することである。" (p.298)
まつこ@matsuko--Books2026年2月4日読んでる再読中精読ノートを取りながら読んでいる。 中断するたび、ところどころ読み返すので 余計に進まない... 第2章デカルトまで読了、続いてパスカル。




Rica@rica_bibliotheca2026年1月28日再読中ずっと読み続ける四読目は、じっくりと各章を読みこんでいる. 〈フッサール〉を終えて今日から〈ハイデガー〉. __________ 石は自らが存在していることを問わない。鳥も問わないし、空も問わない。それらはただ存在することのなかで自足し、自らの存在理由を問いただしたりしないのだ。あらゆる存在者のなかで、人間という存在者だけが、自らの存在の起源について問う。 __________
Rica@rica_bibliotheca2026年1月13日再読中ずっと読み続ける通しでは三読を終えての四読目. 1週間〜10日をかけて一章を繰り返し繰り返し読み返している. パスカルを終えて、今日からカント.
Rica@rica_bibliotheca2025年12月29日再読中ずっと読み続ける通しでは三読を終えての四読目. 1週間〜10日をかけて一章を繰り返し繰り返し読み返しているのだけど、そのたび、なんと浅い読みだったのか、、、と毎回痛感させられる. 今日から〈パスカル〉の章へ. _______________ 人間は、もしも気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである。 『パンセ』断章四一四 _______________
Rica@rica_bibliotheca2025年12月15日再読中ずっと読み続ける四読目 〈ホメロス〉集中読みの1週間を終えて今週からは〈ソクラテス〉の章へ. ますます本著(&著者)の素晴らしさに感じ入っている.
Rica@rica_bibliotheca2025年12月9日再読中ずっと読み続ける四読目 〈プロローグ〉〈序章〉 だけ繰り返し読んでいた2週間. 今週からは〈ホメロス〉の章をがっつりと. 多読も楽しいけど、繰り返し読みもまた.
Rica@rica_bibliotheca2025年11月28日再読中これからもずっと読む四読目. また通しで読んどく?^_^とも思いつつ しばらくは〈プロローグ〉と〈序章〉だけを通勤中に繰り返し読むことにした. 自宅の最寄駅〜乗換のJ駅の区間読むのにちょうどいい感じ. 8読目に入る. いやあ、ぜんぜん汲み取れてなかったかも、作者の意図や想いを.
AKICHI@akichi2025年3月24日11% 彼らは誰ひとりとして「自分自身を知ろう」などという反省は決してしないことが容易に想像できる。 ↑たしかに、現代人の自分は「自分について理解が深まる」という感覚がある。もしくは「人間の心というのはこういう風になっているんだな」と少なくとも前よりは分かるようになるという感覚。自己防衛とか。 【メモ①】 「自分を持て」などという言い方がある。自己というモノだろうか。当時のギリシア世界において「自分を持ちなさい」などという感覚はあったのだろうか。なんとなく「自己」というのと「責任」というのは関係していると思う。責任を取らせるというシステムが出てきたことにより、そこに自己というのもが出てきたのではないだろうか。社会をつくるためには、人間を「社会のために動かす」必要があり、そのために色んなシステムが作られた。その中に「責任」というシステムがあった。しかし、考え方によっては誰も責任など取れないとも思う。 こんがらがってきたので、ここでストップ。
Aruiwa@atodeyomu2025年3月21日読み始めたまだ1章。 「心」をひとつの統一体としてみる考えはソクラテス以降であって、つまり心はメタファーとして発明されたそう。おもしろ! ソクラテス以前の心のあり方として、そのありえたかもしれないひとつの進化先にタコが挙げられていた。参照されていたのは『タコの心身問題』なのだが、偶然にも本棚で隣り合ってた2冊だった(そしてどちらも未読だった)

いま@mayonakayom222025年3月16日読んでるかつて読んだ最近読んだことや聴いたことを振り返りながら、またぱらぱらと読み返すと、また新しく出会い直す箇所もあったりして、これこそ読書の醍醐味。

























