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@blue_27
歴史と本が好きです。
  • 2026年5月25日
    十一番目の志士 下
    仕事帰りに本屋寄って、そのまま電車で読み始めるのが好き
  • 2026年5月25日
  • 2026年5月25日
    横井小楠の人と思想
  • 2026年5月24日
    十一番目の志士(上)新装版
    ハラハラする場面の連続でおもしろい 司馬遼太郎作品で架空の人物のものを読むのは初めてかも。 有名どころが次々と出てくるのもまたいい。
  • 2026年5月22日
  • 2026年5月17日
    武士道
    武士道
  • 2026年5月17日
    吉田松陰『留魂録』
  • 2026年5月17日
    橋本左内
    橋本左内
  • 2026年5月17日
    啓発録
    啓発録
  • 2026年5月17日
    十一番目の志士(上)新装版
  • 2026年5月17日
    明治維新10講
    正直に言うと、著者の文章の作り方や単語の使い方があまり好きではないかも… なぜここにこの文章を入れ込む…?みたいなのが多くて、所々内容が頭に入ってこなかった。 ・同時代のヨーロッパでは、未来の理想像をもとに抜本的改革が進められたが、幕末の日本は「進歩」ではなく「復古」を改革の基礎とした。 ・廃藩が行われる直前、日本は274の藩があった。 他の連邦国家では、アメリカが37のステイト、ブリテンが4つのカントリー、ドイツは24のシュタートと三つの自由都市、一つの直轄領。これらと比べても、日本の政治単位は並外れて多い。 それが、廃藩置県によりたった1つの国となり、移動や居住は国境内ならどこでも可能となった。 ・明治2年、政府は大学校を設ける。 欧米から教師を雇い、授業は欧米語で行う。優秀な学生は、卒業後に欧米へ留学させた。 帰国後は母校の教員となり、授業の日本語化を進める。 西洋の学術用語を漢字熟語に置き換える作業も行われ、西洋最先端の学問が大学をはじめ、中等学校以下まで浸透していった。 これが、日本の識字率、知的水準を持続的に向上させた。 ・明治維新は、広く見れば1853年ペリー来航から1890年の国会開設まで約37年間に起きた革命であった。 著者はこの37年を長い間としていたが、髷を結って刀を差して過ごしてきた日本人が、たった37年で国会を開設するまでに成長したのだから、私は非常に短い急進的な改革だったと考えている。 黒船に慄き大混乱を起こしていた日本が、数年後には欧米使節団として世界一周をし、国内の政治に活かす。 この時期の日本人の活力や国のために動こうとする想いは、本当に並大抵のものではないなと思う。 また、いまの県とはちがう「藩」の存在はどれだけ色んな本を読んでも興味深い。 同じ日本だけど「お国」がちがう。廃藩置県が実行されたあとでも、同藩意識が政治にも色濃く反映される。 この同藩意識が薄まったのっていつからなのだろう… この辺りももっと知りたいなと感じた。
  • 2026年5月10日
    明治維新10講
  • 2026年5月10日
    明治維新10講
  • 2026年5月10日
  • 2026年5月10日
    夜の国のクーパー【新装版】
    大どんでん返しというか、えぇそういうこと?みたいな感情が何回も湧き立ってほんとうに面白かった… この「人間」が兵士を前にして何ができるの…?と心配だったけど全然無用だった
  • 2026年5月7日
    夜の国のクーパー【新装版】
    同じ著者の本を何冊読んでも、新しい本を読み始めるときのドキドキ感が変わらないのって本当にすごいと思う…
  • 2026年5月6日
    日本語の書き言葉はどう変わってきたか
    面白かった〜 現代の文章には漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字が混ざっていて、それは日本特有の複雑な表記。 ここまでくるのに随分と紆余曲折があったんだなぁ 平安時代から続く「ひらがな」。 大切にしたいなぁ
  • 2026年5月6日
    日本語の書き言葉はどう変わってきたか
    6世紀ごろ、漢文を読むにあたっては、万葉仮名での送り仮名や振り仮名が一般的だった。 そのため、「春花(はるのはな)」は「波流能波奈」と仮名がふられる。 しかし、漢字で書かれている漢文に、漢字で訓み方を記載することになるため、書くにも読むにも煩わしさを感じるようになる。 そこで、漢字を崩したカタカナが生まれ、以降、カタカナでの送り仮名、読み仮名が記載されるようになる。 カタカナが誕生した当初は、いずれも漢字に付与する形で使用されていた。
  • 2026年5月5日
    日本語の書き言葉はどう変わってきたか
    明治6年、7年にそれぞれ刊行された単語篇や旁訓単語篇により、統一されたひらがなとカタカナの字体が示された。 これが初等教育において教えられるようになる。 この時期にはまだ全国共通の口語文体は確立していない。 新政府の要人が薩長土肥の方言話者であったことも、一つの要因だった。 一方で、方言の差が現れない文体として、漢字カタカナ混じりの文語文があった。 これは実用的な文書スタイルとして定着しており、「明治普通文」と呼ばれる。 この「明治普通文」は教育を受けた男性の日記やメモ書きなど、広く使用された。 そして明治30年頃、ようやく東京語が生まれる。 それと同じくして言文一致運動がはじまり、完成は大正10年(1921)となる。 東京語をもとにした口語体はひらがな文であり、小説や新聞、教科書などが使用することによって、社会での安定した地位を獲得する。 しかし、詔勅や法律などの公文書がこれに追随しなかったことが、仮名遣い改定問題に端を発する。 仮名遣い改定問題とは、「古代の仮名用法に基づいた近世以来の仮名遣いを改めて、明治後半当時の東京語の発話と発音を反映した文体の綴りに改定しようとした朝野をあげての運動」p134 この問題も一筋縄ではいかない。 「京」一文字をとっても、「きよう」にするべきか、「きやう」なのか、はたまた「けふ」なのか。 基準となる仮名遣いが存在していなかった。 そもそも、ラジオなどの音声媒体がないため、東京語とは何なのかが全国に知り渡っていない状態。 大正14年にNHKラジオ放送がはじまり、このとき初めて、東京語を耳にするのが大半であった。 仮名遣い改定問題は、詳細が確定していないことによる小学生への教育問題や国体にまつわる騒動にも発展する。 そして紆余曲折を経て、昭和21年(1946)、表音式を取り入れた「現代かなづかい」を吉田茂内閣が訓令し、決着。 現代の日本語に至る。 まさか、今の口語体が確立したのが80年前だとは… たしかに、大戦の動画とかでは漢字カタカナ文を声に出して読んでいる場面が非常に多いことが思い起こされる。 この時代はこんな喋り方なんだ〜くらいにしか思っていなかったけれど、改めて80年前に国として統一されたと知ると、平安時代からひらがなの全身があったことを考えても中々の衝撃。 いや〜おもしろい。この本を手にとってよかった。 知識や興味の幅が、より一層広がった気がする。楽しい。
  • 2026年5月5日
    ファスト&スロー 上
    ファスト&スロー 上
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