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山本浩貴(いぬのせなか座)
山本浩貴(いぬのせなか座)
山本浩貴(いぬのせなか座)
@hiroki_yamamoto
やさしい、はなのぬれた目のきれいなつめのすべすべのいぬ
  • 2025年4月2日
    世界文学のアーキテクチャ
    なんか百周くらいまわって「文学」を名乗る本をふつうに素朴に楽しめるようになっている感が自分にある。(と感じさせられる)
  • 2025年4月2日
    文化的コモンズ
    文化的コモンズ
    これも企画絡みだ。コロナ禍直後くらいに雑誌企画のためにこのあたりの議論を大量に読んでた時期があったけど、この本はいい意味で雑多で良き。
  • 2025年4月2日
    「世界」文学論序説
    買ったけど製本未然のものが届いてしまい、まあいいかと思っていたはずだけどそのまま積んでる(読む)
  • 2025年4月2日
    自由の牢獄
    自由の牢獄
    これも企画絡み。友人に勧められて。
  • 2025年4月2日
    青空のむこう
    青空のむこう
    これも進めてる企画関連で、友人との話から「あったね」となり、久々というか20年ぶり?とかに……
  • 2025年4月2日
    身体性認知とは何か
    身体性認知とは何か
    激多忙からやっと抜けつつあり、ようやく本を読める精神にもなってきた。とりあえずは現在進めている企画と原稿のために、「拡張された心」まわりの議論を(自分のなかで)更新しておくべく……
  • 2025年3月16日
    新潮 2025年 3月号
    岡田利規「中之島15の場所での物語」を読む。二人称の指示書として小説を書く、というと今は岡田は最重要のひとりだと改めて思う。
  • 2025年3月14日
    熊とにんげん (福武文庫 Jチ 201)
    この本と関連して、『カブールの幽霊』について①がないと数日前に書いたけれど、ドイツにいるhさんが持ってると今日言われた。そりゃないわけだよね。
  • 2025年3月13日
    モチベーション
    申請して登録できるようになったと聞いて。自身が日記のように小説を書き続けていたころを思いだす。尊敬する。
  • 2025年3月12日
    ベストSF2022
    週末のイベント「./MYTH.YOU あなたの中から神話を見つけられたみたいです。」で触れてくれと言われたのと、自身のプロジェクトの企画書を書くために自作「無断と土」を再読し始める。 若いなーと思うところと、楽しいよねというところと、まだやり残したことが大量にあるというところと、これをみんなはどういう点ですごいと思ったのだろうというところが、混ざっている。 もう少し踏み込むと、個々の文章のクオリティや思弁の強さ、批評性、起こしている身体感覚などは、私のほかの仕事の平均値と同等、言い換えればもっと激しく達成を得たものはこれまでいくつも作ってきたという自負がある。 この小説の(私の仕事における)特権性、固有の良さ、は、本来つながらないとされているいくつかのジャンルや時代や文献や感覚を、ごく短い分量のなかに極度に詰め込んでいるところだと思う。その独自の関連と圧縮のてつきにこそ、この作品の固有性がある。 そして自分はこれの続編を複数作ろうとしつつはや4年が経とうとしているのだが――その間、例えばフェイクドキュメンタリーホラー的なものの流行がきて今や批評性自体が失われたという感もあるわけだが――私が一番厄介に思っているのは、「無断と土」にあるような複数の領域の局所的詰め込み(そこでこそ可能な関連を起こせる場の立ち上げ)は、擬似論文的な文体・形式だからこそ可能なものだったのかどうかというところだったと思う。 私は2015年のいぬのせなか座の立ち上げごろから、批評的文体を「小説の方法のひとつ」としてオリジナルな仕方で作り直し自らに運用可能にすることを試みてきたが――それはフェイクドキュメンタリーや私小説を肯定する流れともちろん重なっている――、「無断と土」はその成果のひとつとして書かれたものでもあった。 だが、はたしてその方法をより洗練させたり拡張させたりしていくべきなのか、2015年以前に私にあった(それぞれに訓練し発明してきた)文体らを放置していていいのかどうか、という悩みが私の筆を鈍らせるところがあったのだった。 さらにこれは続編を作るというときの姿勢にも関係してくる。文体は大幅に変えて、でも世界観は維持していくということを当初思っていたのだけれど、それはそれでかなり窮屈な思いをすることになった。批評的文体で超圧縮して書くことは、世界観の発明にあまりにむきすぎていた。そのため、それ以外の文体を用いて続編を描くことは、「無断と土」で作った枠のなかで面白いことを探すみたいなかたちになりかねず、その発明の手薄さに私が飽きてしまうのだった。 いやもちろんそこで批評的文体とは異なる文体を用いてやれることはたくさんあったし今もあると思っているのだけれど、なんかすでにある枠に私のいまの身体感覚を押し込めて整えようとしてるなと思い気持ちが薄れてしまうみたいなことが複数あったのは確かだ。 で、じゃあいまどう考えるかだが……なんとなくだけど、批評的文体でフィクションを書くというのは、これはこれでもう少し続けてみてもいいのかもという気持ちが若干生まれつつある気がする。もうすこし自分の得たこの技術につきあって、小説制作にもっと使える道具にした方が良いのでは、という。 それに、やはり上で書いたように、複数の本来つながらないとされる要素を関連させる極度に圧縮された場を発明する、ということを私はもう少しやりたいと思っているだろうな、とも思った。そしてそれに、批評的文体は都合が良い。 まあ、批評的文体、とここまで書いてきたけど、たぶん批評というより、やはりフェイクドキュメンタリー的とか、レクチャーパフォーマンス的とか、歴史記述的(非一人称的)とかといった方が良いのだろう(批評という言葉はいろんな良くないものを背負わされすぎている)。 書くことで世界をゼロから高速で立ち上げていく、そういう修辞とフィクションの生々しく密接した場所でもってこの私固有の歴史や関心のネットワークを制作化する、ということに私はやはり楽しみを覚えるし飽きたりしないし得るものがあるわけだが、一人称的なほうはいったん過去作「Puffer Train」の改稿版作成で好きなだけやれるので、「無断と土」のほうは、そこでの世界観に限らず自由に批評的/レクチャー的/歴史記述的な書き方でもって新しい短編を数本書いてみるくらいでいいのでは、というのが、今の気持ち、かもしれない。 ひとつに束ねなくていい、ふたつ並走させつつたまに往来する感じでいい、というか。 まあ思いつきかもしれないけれど、メモしておく。
  • 2025年3月12日
    憧れの世界 --翻案小説を書く
    作品はもちろんだが書き下ろしエッセイが貴重
  • 2025年3月12日
    神の子犬
    神の子犬
    これも読んでいたもの(で、引き続き机の上にあるもの)。特に冒頭数編の素晴らしさ。
  • 2025年3月12日
    ほんとうの考え・うその考え: 賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって
    先日読んでいたけれど登録できていなかったもの。引き続き読んでる。表現と信仰と大衆をめぐっては吉本が先行者としていてくれて本当に良かった。また科学と信仰の関係については自分が同意するのかどうか引き続き留保している。
  • 2025年3月8日
    絵画の素
    絵画の素
    某原稿のため。そういえば通読できていないのだった。岡崎における言語表現は批評と詩(作品タイトル)に分かれるが、その中間で書かれたテクスト群という感がある。ひるがえって岡崎の詩における法則/価値判断を問いたい。
  • 2025年3月7日
    熊とにんげん (福武文庫 Jチ 201)
    本当にひさびさに目を通す(ほか、『カブールの幽霊』②③も。①がいつのまにかない……)
  • 2025年3月6日
    感覚のエデン
    感覚のエデン
    某雑誌の原稿のためにこれも再読。
  • 2025年3月6日
    ほんのこども
    ほんのこども
    毎日ころころ本を開いては読んで別の本に移っているのがもろばれだが、今日はこれを再読していた。自作小説に関連する可能性を思ったため。ほか、ジャグリングやデザインの関連資料を読んでいた(登録できないのでここで)。
  • 2025年3月5日
    無形
    無形
    今の肌感とあってる気がする
  • 2025年3月4日
    遠くまで歩く
    遠くまで歩く
    新聞連載で途中まで目を通していたが最後まで追えていなかったのでほぼ初読の感
  • 2025年3月4日
    「俳優」の肩ごしに
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