ほんのこども
21件の記録
本屋lighthouse@books-lighthouse2026年4月13日読み終わった仲西さんが「友田さんは小説をやっている、あるいは友田さんが小説になる」という話をしていて、ほんのこどもだった。





本屋lighthouse@books-lighthouse2026年4月12日殺意をデリートして空白にもどし、それでもどこも傷んでいない身体がガラケーのボタンを押しつづける。かいていないと身体がかいてしまって、かくのを止められないからかかないためにかくしかないのだ。 おなじ夜、荒川区町屋のワンルームに独居していたいまから五年前の私はだれにも求められていない投稿小説をかきすすめていた。昼には書店営業にまわる会社員として出かけてい、二階相当の高さに位置するJR津田沼駅のコンコースを抜けた奥にBOOKS昭和堂(二〇一八年に閉店)があるペデストリアンデッキの階段をくだって歩道におり、レールと枕木の繋ぎ目にところどころ雑草の生える線路を右手に、約四〇〇メートル先の新津田沼駅にあるブックマルシェ津田沼店をめざしてボンヤリ歩いていた。(p.207) とかいている2026年の私はすでに西船橋、さらには南行徳を超え、三軒茶屋へと向かっている。






本屋lighthouse@books-lighthouse2026年4月9日まだ読んでるところで事務所がとくにそうなのだがかれらの生活は総じて記号的で、誰しもが映像のかたちで想像できうるたとえば肉食動物を模した置物や冗談のような掛け軸はよくある任侠映画のとおり設えられているものの、それは流通しているジャンル作品に特別リアリティがあるからではなく、暴力組織のほうからフィクションに似せてやっているからだ。どちらがどちらなのか、似せているのか似にいっているのかだれにもわからず紛れていき、暴力を隠すなら暴力のなかというわけでまずは国家や家父長制に似にいくのはそのためでもある。(p.88) ウォルター・ペイターやオスカー・ワイルドらによってかつて議論されていた「芸術が自然を模倣するのか、自然が芸術を模倣するのか」という命題がここにあらわれ、不真面目英文学生として微かに覚えのあるテーマにわくわくしつつも罪悪感も覚える。

本屋lighthouse@books-lighthouse2026年4月9日まだ読んでるたとえば本を読む、数十頁まえにかかれたことを読んだ認識や記憶を、薄れさせつつあたらしい頁を読む、そのように現実が響きあって生まれる意味の擦れ目が、濃淡が共振してやっとはじめてあらわれる「私」なんじゃない?(p.141)




本屋lighthouse@books-lighthouse2026年4月8日まだ読んでるたとえ書き手が、小説家でなくても、小説であるだけで、充分なんじゃない? というか、書き手が小説そのものであることは、書き手が小説家であることよりも、よくはないかい?(p.86)




本屋lighthouse@books-lighthouse2026年4月6日読み始めた『迂闊 in progress〜』の編集作業をしているときからずっと、いつか町屋良平をぜんぶ読むをやるときがくるのではないかといううすあまい気配があったのだけど、ついにそのときがきたのかもしれないと先日思いたち、文庫版が出てしまってうわついてしまった単行本の在庫を店から抜きとり、それからやっといま読みはじめられ、冒頭数ページからすでに引き込まれ危うく志津駅で降りるのを忘れるところだった、と書く私はすでに「かれ」であった。「私」はこれから3時間だけ労働。









ばるーん@ballo____on2025年6月18日読み始めた読んでる読み終わったまだ読んでるかつて読んだ最近連載前の読切の短編として群像に掲載された『ほんのこども』を読んで、本書をまた読み返し始めた。読み比べると長編への舵を切るタイミングというか、情報の広げ方が印象深い。 小学生の頃転校した仲良くなりきれなかった子に思い馳せる誰にでもあるベタな皮膚感覚が、立ち上がって痛いほど痒くなる。 ぼくの場合のかれは、何故かぼくのことを常にフルネームで読んだ。かつて読み書きに嫌悪感すらあったぼくは、今読み書きするようになってしまって過去を反省と捏造、そんな自分を茶化して冷笑しかしておらず大変みっともない。そのせいかしらエッセイを読むことはきついし、日記なんかもってのほかで、何も続かない。エッセイブームの波に上手く乗れない!これは深刻で、すべて小説のように読んでしまうし書く。 実際かれが図書館に通っていたかはよく知らないが、ぼくが唯一行った、当時一回限りの図書館訪問でかれと会って、特に話すこともなかった。そこで話さなかったから、かれと友達になりたいぼくの現在、ぼくの暴力がある。 ぼくのなかでこの作品は、というか町屋さんがぼくのなかのかれとパラレルになってる。実生活で傷つく(傷つける)たびにに読み返している本書をもっとわかりたいし、町屋良平をわかりたい。『生活』を読み始める前にもう一回読む。もっとよくわからなくなるために読む。


夏しい子@natusiiko2025年3月8日かつて読んだまるでミニシアター系の映画を見ているような感覚で読んでいました。 こういう解釈が正しいのだろう、というのは私には分からない。 とはいえ私が読んでいて感じたのは 作中の町屋良平は自分の生い立ちは 上手く書けないし恥ずかしいけれど あべくんの分かりやすい悲劇には陶酔したくなるほど 憧れがあったのではないだろうかと思えてしまった。 そして小説家にまでなった自分よりも まだ邦訳もされていない本にまで手をつけようとしていた、あべくんの小説への想いに 嫉妬を超えた憧れがあったのではないかとも思った。
山本浩貴(いぬのせなか座)@hiroki_yamamoto2025年3月6日読んでる毎日ころころ本を開いては読んで別の本に移っているのがもろばれだが、今日はこれを再読していた。自作小説に関連する可能性を思ったため。ほか、ジャグリングやデザインの関連資料を読んでいた(登録できないのでここで)。














