
おろろさん
@lool
よく文芸誌を頭の上にのせながら移動します、群像はその重さとして適切です、好きなのは文學界ですよろしくおねがいします
- 2025年11月24日
- 2025年11月23日
光の領分川村湊,津島佑子読み終わったとにもかくにもひとつひとつの生活。死を捨て、子を必死に育てる四捨五入の生活。必死になってやりくりするシングルマザーの私で、死が脳裏にやってくることは滅多にないけれど。たとえば人身事故。たとえば子の夜泣き。ためいきのような出来事がふっと死をよぎらせるけれど、ぶんぶん。私ゃこの子を育てねばならぬのだずんずんと進むそれしかないのだ。 - 2025年11月8日
- 2025年11月8日
読み終わった正義と悪がわかりやすくわけ隔たれていることは、現実世界ではそうないと思っている。政治では右と左、いまは極右が世界的に流行しているけれど、振り子と同じで、その反動が必ず来る。その反動というのが、大衆の自然発生的な気持ちではなく、この物語のような特定の集団が計画したものだということもあるだろうなとおもう。安倍総理襲撃なんかもそうで、結局誰かの死、多数の死、というのが世論を動かすという原理は、曲げられない真実なのだろうか、?コミュニケーションではなくダイアローグで、政治を変えるというのはもう1%の可能性も残っていないのだろうか、?人の死なくして、政治をかえれる、世論を変えれる日本に生きることは、皆無なのだろうか?と思う - 2025年8月22日
急に具合が悪くなる宮野真生子,磯野真穂読み終わったとにかく、読みたい読み切りたい、言葉の節々に死が見え隠れする文章が、これ以外に見つかるのだろうかと思う。死が溢れている文章は夏目漱石のこころとか、色川武大の狂人日記とか、思い当たるのだけれど、向こうのほうの左に曲がる角からちらっと見ている死、こんな文章があるのかしらん。なんというか、でも、そうやって見られている文章だから没入すると私までそこに取り込まれそうで、どうしても飛ばし飛ばしで読んでしまうよ、再読しなくては、な。 - 2025年8月6日
- 2025年8月2日
生きる力が湧いてくる野口理恵読み終わった声にならない叫びって、こうゆう文章のことをいうのではないかと思う。吐露するべき場所など与えられておらず、内包しておかねばならぬ過去というものが、形を変え姿を変えてゆき、諦念と怨念とほんの少しの希望と、それらすべてをまぜあわせたものへと深化してゆく。進化でも神化でもない、深化。 - 2025年7月13日
国宝 上 青春篇吉田修一読み終わった - 2025年6月21日
狂人日記佐伯一麦,色川武大読み終わったHSPを自称している人々に、読んで欲しい、これこそ他人に迷惑をかけてしまうことを恐れ、視覚、聴覚が繊細すぎるがゆえの幻、が、ある主人公なのだ。HSPを自称するということは、繊細を売りに出している、商売にしている時点でそれは繊細でもなんでもない、HSPという薄汚い膜をはることで孤独ではないことに安堵する健常者であろう、 って色川さんに現代を描写されているみたいで、 - 2025年5月31日
街とその不確かな壁村上春樹なにか不可解で不条理でまったくわけのわからないことに巻き込まれても、「ああ、そうですか、」と、ある種の諦念と怠惰が交じった言葉をいえたら、それは大往生したのだといえる、のかもしれない - 2025年5月31日
- 2025年5月31日
軽いめまい金井美恵子読み終わった立ち読みでこんっなに惹かれたのはいつぶり?というぐらいで、たらたらとつらつらと、語っている。句点が1ページぐらいなくて、ある人からはタラタラしてんじゃねえよ!だとかまたある人からは、うん、で結論は?といわれてしまいそうだけれど、物語にまでコスパタイパを求めるナ!ってデモを起こしたくなりますなあ、資本主義を趣味にまで物語にまで哲学にまで参入させれば、生はどこへいくのですか、 - 2025年3月19日
世界99 上村田沙耶香読み終わったそれぞれの環境に適応して生きている、それは多分自分を守るために誰しもがしていることで、いつまでも純粋な心で生きることはできない、ペルソナはただのペルソナで鎧です、本当のわたしはここではありませんというのは仕事をする上で、そして自らのやりたいをまもるため、に、必要かも - 2025年3月12日
- 2025年3月12日
ねじまき鳥クロニクル 第3部村上春樹読み終わった - 2025年3月12日
ねじまき鳥クロニクル 第2部村上春樹読み終わった - 2025年3月12日
ねじまき鳥クロニクル 第1部村上春樹読み終わった2024ベスト本!自己決定や自己責任が謳われる啓発書やビジネス書が多いなかで、じぶんではどうにもこうにもできないことが世の中にはたくさんあるのだと、そして、自分と世界という相反する決定権の割合がいつもあやふや、変わりゆくので。 國分功一郎さんの中動態の世界で、受動態と能動態という枠組みで現在は捉えられているけれど、古代は中動態というのがあったのだ、責任の所在が不安定なもの。この小説は、中動態小説であると思う。いまだけれど、いまだからこそ、読むべきだ - 2025年3月12日
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