三島由紀夫との六十年(1002)

三島由紀夫との六十年(1002)
三島由紀夫との六十年(1002)
高橋睦郎
平凡社
2025年11月7日
3件の記録
  • 肉体的コンプレックスを超克しても、消えない虚無感。自らを愛しても愛してもやまないナルシシズムには、死は最良の金貨に見えたのかな。その踊り場を憂国と割腹に仕立てた児戯であると知りながらも。
  • こういう本の宿命で、内容が重複しがちなのはまあ仕方ない。高橋ならではの三島由紀夫論。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2025年11月26日
    「それまでの私は、三島のすべて自ら主体でなければすまない生きかた・死にかたにどこかで疑問は感じつつ、おおどころでは準(なら)ってきた気味があった。それが(交通)事故をきっかけに、重要なのは表現されるべき対象であり、表現する自己はそのための道具にすぎない、表現の道具である自分は能う限り低くみじめな存在でなければならない、と思うようになり、そう思うようになると、生きることが自分でも驚くほどらくになってきた。そして、それこそが自分にとっての自己実現なのだ、と自覚した。  こうなると、つぎには三島にもらくになってほしい、それがいまさら無理なら、らくになってほしかった、となるのは自然の勢いだろう。私自身の自己実現が自己解放なら、自己実現のための最重要の他者である三島が自己解放してくれなければ困る。私にとっての「在りし三島」は「在らまほしかりし三島」になってくれなければ落ちつかないのだ。」 p.302 三島の「すべて自ら主体でなければすまない生きかた・死にかた」に準っていた著者が、「能う限り低くみじめな存在でなければならない」と思うようになる、その落差。「とことんまで堕ちきる」ということ(堕落論)、そこに真の「らく」が控えているということ。 自身が救われた後に、その人生観に影響を与え続けていた死者である三島にも「らく」になってほしいという著者の感受性、その教師と教え子の逆転劇にかなりの衝撃を受ける。
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