別冊NHK100分de名著 集中講義 河合隼雄
9件の記録
いちのべ@ichinobe32026年10月3日読み終わった読了。ユング心理学を学ぶ参考になれば、と思って読んだが、もともと自分が仏教に関心を持っていることもあり、河合隼雄の著作への興味が増した。 読んでいて納得感と新鮮な驚きがあった引用。 >> 近代人は「進歩」という言葉が好きでした。現代人もその考えをいまだに強く引きずりすぎているように思います。「進歩」の図式を提供する直線的段階的な過程の理論は、どうしても受けいれやすい。その点でユング派の考えは非常に柔軟ではあるが、仏教となるとそれがもっと徹底している。最初から最後までというよりは、そもそも始めとか終りなどというものがなく、すべてがすべてのままで、全体としては不変という世界の姿を、それはわれわれに見せてくれます。(p150) >> 私は人間の心は、意識の異なるレベルでそれぞれの統合性をもちつつ、全体的には中心をもたずにスーパーシステムとしてうまく機能しているのではないか、と考えようとしています。つまり、心全体としてうまくはたらいているとき、そこに敢て統合の中心を求める必要はない、と考えるのです。(p161)
いちのべ@ichinobe32026年9月29日読んでる第2〜3講を読む。 西洋と日本における、自己/自我、昔話や神話の対比が面白く、原著も読んでみたくなった。 『青ひげ』と『うぐいすの里』どちらも知っているが、対比して考えたことがなかったな。こんなに対照的だとは。 >> 本来「無」は否定も肯定も超えた存在である。(略)それは、日常・非日常、男・女などの区別を超えて、一切をその中に包合してしまう円へ変貌する。それは無であって有である。(p90) >> 「あわれ」とは、われわれの物語に即して言えば、完結に至る寸前における、プロセスの突然の停止によって引き起こされる美的感情である。(p91)
いちのべ@ichinobe32026年9月23日読み始めた第1講を読む。いちばん印象的だったのが影についての話。 > 河合隼雄が書いているように、影とは「個人の意識によって生きられなかった反面、その個人が容認しがたいとしている心的内容」なのです。(p44) >> 自分の内部にある認めがたい影を他人に投影し、とかく悪いのは他人で、自分はよしとするのである。このような傾向が一般化し、一つの民族や一つの国民が、その全体としての影を何ものかに投影するような現象も、全世界を通じてしばしば認められるのである。(p47) 自分を振り返っても、世の中の様々な事象をかんがえても、思い当たるところが多々ある。


