子どもの文化人類学 (ちくま学芸文庫)

14件の記録
-ゞ-@bunkobonsuki2026年9月14日地球上に散らばる民族たち。 その文化には差があり、文化人類学はその差を眼差す学問である。本書では「子ども」に焦点を当てて、各民族の子どもがどのように学習していくのか比較していく。 見て、覚える。 今の日本において、この学習の仕方をする機会がどれほどあるか。子どもに限らず大人でも「見て、覚える」機会に接することは稀なのではないか。 人から何か教えられる時、「メモを取ってね」とか「分からないことがあったら聞いてね」と言われた経験は誰にでもある。 そこには「教える/教えられることは、自分以外のモノ・ヒトを活用する」前提が潜んでいる。 それはある意味で「あなたの観察眼なんてアテにしていない」というメッセージになりうる。「見て、覚える」というのは単純なようで「あなたの観察眼を信頼している」という肯定的なメッセージなのではないか。 子どもに対して「見て、覚えろ」というやり方は、なんだか古臭いが、子どもを成長させるには一番真っ当な指導なのかもしれない。
乖離@karu2026年3月29日読み終わったさまざま社会や文化の中にあって、子どもたちはそれぞれに幅広い可能性を秘めている。 文化人類学学者の著者が、「子ども」という謎に満ちたキーワードを切り口に、「家族の関係」「自然とのかかわり」「学び」などのテーマでやさしい語り口で記したエッセイ集です。 雪原の狩猟民族ヘアー・インディアンを始めいろいろな社会に生きる人びとの暮らしぶりやものの考え方を調査したり見聞きしたりした実例たっぷりで語られます。 馴染みのない社会への好奇心をくすぐられながらエピソードを読んでいると、私自身が暮らす現代日本社会を異なる社会との比較のなかで一歩引いて考えてみずにはいられませんでした。 特に印象的だったのは、ヘヤー・インディアンたちは「育児」を仕事や休息ではなく「遊び」と捉えているようだという話です。娘の乗ったハンモックを揺らす父親は、娘をあやしてやっているのではなく、自分が娘に楽しませてもらっているというのです。 また、著者がヘヤー・インディアンの子どもたちとアメリカの子どもたち(著者がシッターをしていた)との前で折り鶴を折ったときの話も、子どもたちの反応に大きな違いがあるというのが分かりやすく面白かったです。ヘヤーの子どもたちは著者が折っているのを観察して自分で真似して折ってみようとします。一方、アメリカの子どもたちは「次はどうするのか」「もっとゆっくり見せて」と教えを乞うてきます。 どちらが良い悪いという話ではなく、私が当たり前だと思っていた「教える」「教わる」という関係も文化依存的かもしれないということが衝撃でした。 私自身の経験を思い返してみると、新しいことが出来るようになった過程は「教わる」と「学ぶ」の両方があり、より早く効率的に身についたのは「教わる」の時で、能動的に深い理解とともに身につけたのは「学ぶ」だった気がします。 苦手だった数学は「教わる」で乗り切り、好きだった国語は「学ぶ」で伸ばしたような……笑 私は自分の子どもはいませんし、日常的に子どもと接する機会があるわけでは無いのですが、やさしい文章で文化人類学が探し求める文化の違いを読むのは面白かったです。



おふ@of2025年3月16日読み終わった子どもはあらゆる可能性があること、育てることはその可能性の方向をある程度狭めることでもあるという言葉が心に残る。 親の属する文化に適合するよう育てている面があることに自覚的でいたいし、そのことについて省みながら接することが大切なのかも。 現代に生きる私はつい効率の良さを無自覚のうちに採用しているけれど、子たちの自発的な気付きや積極性を待つ余裕を持ちたい…









