裂神
17件の記録
- 活字中毒@text2026年8月13日読み終わった祝山が良かったので新作が出た時にリクエスト。 この方の作品の良いところはご都合主義で助からないところ。功罪に関係なく助からないときは助からない、助かる人は何かしらのきっかけがある。 そこの線引き具合が好き。
DN/HP@DN_HP2026年7月10日「恐怖というのは感情だから、その大きさも、深さも、質も、他人と分かち合うことはできない。 喜怒哀楽すべてがそうだ。 感情は言葉や態度で、外に出した分しか伝わらない。 文章にしたところで同じだ。 どんなに言葉を尽くしても、いや、尽くせば尽くすほど、もどかしいほど気持ちは届かず、間に空虚が入り込む。」 という一文を読んで数日前から読んでいる小田イ輔さんの『44 小田イ輔 怪異聞集」というか小田さんが書いている怪談のことを思い出した。「他人と分かち合うことはできない」とももしかしたらわかりながらも、体験者と作家、それに読者の間にある空虚を埋めるように、なんとかそこにあった個人の恐怖、感情、「解決しようのない怖い思いや、普通は話せない突飛な経験」を「共有」しようとする怪談という試み。 「共有したいんだよ。解決しようのない怖い思いや、普通は話せない突飛な経験を、話して貰う事で共有して、更に文章化することで普遍的なものにする。そうすれば個人の経験を皆が擬似的に体験できるでしょ。一人で抱えてた荷物を降ろせるじゃない、それって楽になることに近くないか?」 ——小田イ輔『『呪の穴』 「嘘って言うなよ?」 『裂神』も怪異によって不条理に押し付けられた感覚、感情に憑かれた人間に、はじめは拒絶しながらも、自らの過去の経験——「怪異に追われた身に立ちはだかるのは、嘲笑と否認の壁だった(『203号室』はそういう苦しみを描いた話だった)」を省みて、それらを「共有」しようと歩み寄ろうとする話だった気もする。途中までは。 「他の誰にも視えない、感じないのだから、自分の世界にも存在しない。たとえ、恐ろしいモノが嘲笑して前に立ちはだかっても、無視して突き抜け、歩けばいい。」 一方で「嘲笑と否認」を避け「共有」もしない、結果的に怪異も存在しない、ことにする。という考え方も勿論あるし、それが「正しい」場合もあると思うけれど、もしそのまま歩き続けた先に……と考えるとその逃げ場のなさに怖くなるし「共有」するということは、やはり必要では、と思ったりしている。

ちゃと@chat_noir2222026年6月21日読み終わった鹿角南シリーズ3作目。山の廃墟、素封家の蔵、いわくありげな面、シリーズどれも怪異としてはありがちなテーマなんだけど、ちゃんと読ませてくるところは巧いなぁ。







