TVピープル

28件の記録
🎡⋆。˚✴︎@licht_yoruwo_koeru2026年8月31日読み終わった2026年読了本@ 自宅ᴍᴇᴍᴏ+🎡感想②📄∘˙ 『眠り』 最後で「オイオイちょっと待ってくれよ😭‼️⁉️」と恐怖で狼狽えながら読み終わった。 ハッピーエンドで終わるとは思っていなかったけど、こんなのってないよ!!!開けていた道が一気に閉ざされた感がすごい…。 どういうことなの……それまで「めちゃくちゃ良いな」としみじみ読んでいたのに、すんごい後味悪いんだが……。だれか助けてくれ……。 (呼んだ直後の感想) ⬇️一番下にラストを読んでの動揺を落ち着けてからの感想 🛌 それが私の生活だ。つまり、私の眠れなくなる前の生活だ。おおまかに言えば、毎日だいたい同じことの繰り返しだった。私は簡単な日記のようなものをつけていたが、二、三日つけ忘れるともう、どれがどの日だったか区別がつかなくなってしまった。昨日と一昨日がいれかわっても、何の不思議もないのだ。何という人生だろうと時々思う。それで虚しさを感じるというのでもない。私はただ単に驚いてしまうだけなのだ。昨日と一昨日の見分けもつかないという事実に。そういう人生の中に自分が含まれ、飲み込まれてしまっているという事実に。自分のつけた足跡が、それを認める暇もなく、あっというまに風に吹き払われていってしまうという事実に。 🎡……わかるなあ……(しみじみ) 主人公と同じ年を迎えたばかりなのもあって、より共感できるものがある。 🛌 私が最後にきちんと本を一冊読んだのはいつのことだろう?そしてその時私はいったい何を読んだんだろう?どれだけ考えても、私にはその本の題名さえ思い出せなかった。人生というのはどうしてこんなにがらりと様相を変えてしまうのだろう、と私は思った。憑かれたように本を読みまくっていたかつての私はいったいどこに行ってしまったのだろう?あの歳月と、異様とも言える激しい熱情は私にとっていったい何だったんだろう? 🎡……わかる…。 🛌 私は台所に行って、コーヒーを温めて飲んだ。そしてこれからどうしようかと考えた。もちろん『アンナ・カレーニナ』のつづきが読みたかった。しかしそれと同時に、いつもと同じようにプールに行って泳ぎたくもあった。さんざん迷った末に、やはり泳ぎにいくことにした。うまく説明できないけれど、私は思いきり体を動かすことで、体の中から何かを追い出してしまいたいように感じたのだ。追い出す。でもいったい何を追い出すのだろう?私はそれについて少し考えてみた。何を追い出すのだ? わからない。 でもその何かは私の体の中である種の可能性のようにぼんやりと漂っていた。 🛌 私は義務として買い物をし、料理を作り、掃除をし、子供の相手をした。義務として夫とセックスをした。慣れてしまえば、それは決して難しいことではなかった。それはむしろ簡単なことだった。頭と肉体のコネクションを切ればいいだけなのだ。私の体が勝手に動いているあいだ、私の頭は私自身の空間を漂っていた。私は何も考えずに家事を片付けた。子供におやつを与え、夫と世間話をした。 🛌 誰も私の変化には気がつかなかった。私がまったく眠れないでいることにも、私が延々と本を読みつづけていることにも、私の頭が現実から何百年も何万キロも離れた場所にあることにも、誰も気づかなかった。私がどれだけ義務的に機械的に、何の愛情も感情もこめずに現実の事物を処理しつづけても、夫も息子も姑も、いつもと同じように私と接していた。あるいは、彼らはいつもより私に対してリラックスしているようにさえ見えた。 🛌 私はある日シャワーを浴びたあとで、裸のまま全身鏡の前に立ってみた。そして自分の体の線がはちきれんばかりの生命力をたたえているのを発見して驚いてしまった。私は首からくるぶしまで全身を隈なくチェックしてみたが、そこには一片の余分な贅肉も一筋の皺も発見できなかった。私の体はもちろん少女時代の体つきとは違ったものになっていた。でも私の肌は昔に比べてもずっと艶があり、はりがあった。私はおなかの肉をためしに指でつまんでみた。それは固くひきしまり、見事な弾力を保っていた。 🛌 それから私は自分が思ったより綺麗になっていることに気がついた。私はひどく若返って見えた。だぶん二十四と言っても通用するだろう。肌も滑らかで、目が輝いていた。唇は瑞々しく、頰の骨ばった部分の影(私は自分ではそこがいちばん嫌いなのだ)もまったく目立たなくなっていた。私は鏡の前に座って、三十分ばかりじっと自分の顔を見ていた。いろんな角度から、客観的に眺めてみた。思いちがいではない。私は本当に綺麗になっているのだ。 いったい私に何が起こっているのだろう? 🛌 私はそんなものに我慢できそうになかった。私はひとりで静かに本を読みたかった。毎日一時聞きっちりと泳ぎたかった。そして私は何より自由というものがほしかった。それが私の望んでいることだった。 🛌 私は目をつぶっていたってそれくらいのことはやっていくことができた。何故ならそれはただの傾向にすぎないからだ。ボタンを押して、レバーを引っ張るのだ。そうしていれば現実というものはどんどん先に流れていくのだ。同じような体の動かし方――ただの傾向だ。そのようにして、私は靴の踵が片減りするように傾向的に消費されていき、それを調整しクールダウンするために日々の眠りが必要とされるのだ。 そういうことだろうか? 私はもう一度注意深くその文章を読みかえしてみた。そして肯いた。そう、たぶんそういうことだろう。 じゃあ、私の人生というものはいったい何なのだ?私は傾向的に消費され、それを治癒するために眠る。私の人生はそれの繰り返しに過ぎないんじゃないか?どこにも行かないんじゃないか? 私は図書館の机に向かって首を振った。 眠りなんか必要ない、と私は思った。もし仮に発狂するとしても、眠れないことで私がその生命的「存在基盤」を失うとしても、それでもいい、と私は思った。構わない。私はとにかく傾向的に消費なんかされたくない。そしてその傾向的消費を治癒するために眠りが定期的に訪れるの だとしたら、そんなものはいらない。私には必要ない。もし私の肉体が傾向的に消費されざるを得ないとしても、私の精神は私自身のものなのだ。私はそれをきっちりと自分自身のために取っておく。それは誰にも渡しはしない。治癒なんかしてほしくない。私は眠らない。 そう決心して私は図書館を出た。 🛌 そのようにして、私は眠れないことを恐れなくなった。何も恐れることはないのだ。もっと前向きに考えればいいのだ。要するに私は人生を拡大しているのだ、と私は思った。夜の十時から朝の六時までの時間は私自身のためのものだった。その一日の三分の一に相当する時間はこれまで眠りという作業に――「クールダウンするための治癒行為」と彼らは呼ぶ費やされていたのだ。でもそれは今や私自身のものとなった。誰のものでもない。私のものだ。私はその時間を私の好きに使うことができるのだ。誰にも邪魔されず、誰に何も要求もされず。そう、それはまさに拡大された人生なのだ。私は人生を三分の一だけ拡大しているのだ。 それは生物学的に見て正常なことではないとあなたは言うかもしれない。たしかにそのとおりかもしれない。そして私はそのような正常ならざることをつづけていることの借りを、先になって返さなくてはならないのかもしれない。人生はその拡大された分を―つまり私はそれを先取りしたのだ―――あとで取り戻そうとするかもしれない。根拠のない仮説だが、それを否定する根拠もないし、一応の筋は通っているように私には感じられる。要するに最後に時間の貸し借りのつじつまが合うというわけだ。 でも正直なところ、そんなことは私にとってはもうどうでも良かった。もし何かの加減で自分が早く死ななくてはならないのだとしても、私はそれでちっとも構わなかった。仮説には仮説なりの道を好きに歩ませておけばいいのだ。少なくとも今、私は自分の人生を拡大しているのだ。これは素晴らしいことだった。手応えというものがそこにはあるのだ。自分がここで生きているという実感があるのだ。私は消費されていない。少なくとも、消費されていない部分の私がここに存在している。だからこそ私は自分が生きていることを実感できるのだ。生きているという実感のない人生なんてどれだけ長くつづこうが、そんなものには何の意味もないと私は思う。今でははっきりそう思える。 🛌 これが本来の私のあるべき姿なのだ、と私は思った。眠りを捨てることによって、私は私自身を拡大したのだ。大事なのは集中力なのだ、と私は思った。集中力のない人生なんて、目だけ開けて何も見ていないのと同じなのだ。 🎡……たしかに他の誰でもない、『私』という人間へ集中力って本当に大事だよな。 己の人生への"主体性"をいかに持つか、ということ。 🛌 やがてブランディーがなくなってしまった。私はほとんど一本ブランディーを飲んでしまったのだ。私はデパートに行って同じレミー・マルタンを一本買った。ついでに赤ワインも一本買った。それから上等なクリスタルのブランディー・グラスも買った。チョコレートとクッキーも買った。 時々、本を読んでいて、気持ちがひどく昂ることがあった。そんな時、私は本を読むのをやめて部屋の中で体を動かした。柔軟体操をやったり、あるいはただ単に部屋の中を歩きまわった。気が向くと夜中の散歩に出かけることもあった。私は服を着替え、駐車場からシティーを出して、近所をあてもなく走った。終夜営業のチェーン・レストランに入ってコーヒーを飲むこともあったが、人と顔を合わせるのが面倒だったので、だいたいはずっと車の中にいた。危なくなさそうなところで車をとめてぼんやりと考えごとをすることもあった。港まで行ってしばらく船を眺めたりもした。 🎡……三宅さんの御本(『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』)にも書いてあったけど、 『「女性が外に出ていくことも、家で守られることも、結局、どちらにたどりついてもどこにもゆくことなんてできないんじゃないだろうか?」というのが、『眠り』という小説に込められたメタファーなのではないか』 っていうのが、ラストの後味としてじわじわ苦しくて……。 (ラストが)主人公が実際に置かれた状況として普通に怖いというのもあり狼狽えてたのもあるんだけど、「私(たち女性)はどこにでも行けるのだ」という解放からなる全能感から、「結局、私たち女性の最終到達地点はここなのかもしれない」と突き落とされるような読後感が受け入れ難くて、怖くて苦しくてひどくつらくなってしまった。 「これからも行き着く先に光はないのか…?今を生きる私たち(女性)はタヒぬまで、そしてこれより先の私たち(女性の子孫たち)にも光へ到達できる日は来ないのか?」という恐怖。 「私たちの何を持ってしても"救済はない"という確認」をさせられた、そういう絶望感があのラストにはあった。 だが私達は抗う。それこそが"男の考えた都合のいい虚構"であることを、これからも生きて証明し続ける。 個人的にそういう決意を改めて固められたお話でもあった。 読めて良かったなと思う作品だった。
🎡⋆。˚✴︎@licht_yoruwo_koeru2026年8月31日読み終わった2026年読了本@ 自宅Page Turnersで紹介されてて気になったので、さっそく図書館で借りてきた📘⟡.* ᴍᴇᴍᴏ+🎡感想①📄∘˙ (『眠り』の感想は②にまとめる) 『眠り』が本当に面白かった😌✨️ 今回はPage Turner'sで話題に上った『眠り』を読む、という前提で本を手に取った状態だったから良かったけど、「村上春樹の本、たまには手に取ってみよっかな〜」とか言ってたまたま『TVピープル』を〜みたいな感じだったら、『眠り』に辿り着くことなく登場する男性達のウザさに辟易して読むの途中で辞めてただろうなと思った。 ありがとう、Page Turner's 『TVピープル』 整理整頓されている部屋でないと落ち着かない彼女(奥さん)。 それそのものに関しては「でもそれは彼女の問題であって僕の問題ではない」というのは実際その通りだからいいんだけど、多分彼女が言及してる"僕"の無神経さはそれだけに留まっているものでは無いと思うんだよな。 📺 「ときどき彼女はひどく怒る。僕の無神経さに耐えられなくなることがあると言う。僕だって時ときどき重力や円周率やE=mc²の無神経さに耐えられなくなることがあるさ、と僕は言う。」 🎡……同じ空間に共に過ごす上での夫のだらしなさに対して怒っている時に、 「僕だって時ときどき重力や円周率やE=mc²の無神経さに耐えられなくなることがあるさ」 とか夫が抜かしてくんのかなりキツいなと思った。 マジでこういうまともに会話を交わす気のない無自覚(か、どうかは分からんが)にスカしたタイプの男がいちばんキツい。 📺 「そうだね」お僕は言った。とくに何かを食べたいわけではなかったが、そこに何かがあればそれを食べてもいいような気がした。 🎡……そもそも彼女(奥さん)の「何か簡単に作ってあげようか?」に対して「そうだね」とは?? 後述されてる文章にも「お前何様やねん」と思ってしまったのだが。というかお前ご飯作ってもらったんだからせめて皿くらい片付けろや。 奥さんがお前の元に帰ってこないのも必然だよ、と思った。 『飛行機』 「は〜〜〜これが村上春樹構文か…」となりながら読んだ。 なんというか、共感どうのこうのを超えて主人公に対し「いったい今の流れのどこら辺でその思考になっていったんだお前は?」と不思議な気持ちになること多々。 ✈️ 要するに彼女は、彼にとっては月の裏側みたいなものだったわけだ。 🎡……この表現、素敵。 ✈️ 「このまま俺はどこにも行けないのかもしれないと彼は思った」 に対して、「いやなんでだよ、そう思うような事象とくに起きてなかっただろ…」と突っ込みたくなってしまった。お前(彼)のそれはどっから来る思索なんだ。 『我らが時代のフォークロア』 「(婚前交渉を断る)彼女とただヤリたかった」というだけの話を、 「肉体的一体感」 「僕にはそれが必要だった。そこまで行くことによって、僕らはもっと解放されて、もっとお互いを理解しあえると思った」 「自分を解放することによって、これまでおぼろげにしか見えなかった自己の姿を発見できる気がしたんだ」 とかまあ文学的に書いてらして凄い……。 (他の男と)結婚した事により婚前交渉の禁止という制約が外れたため、彼女が彼を電話口で自分の家へ(交際中ずっと禁じられてた性交渉の)誘いをかける中で、それを彼が受けるか受けないかのシーンでの、 『でももちろん彼には断れなかった。どうして断れるだろう?それは永遠のおとぎ話なのだ。それはおそらく一生にたった一度しかない見事なフェアリー・テイルなのだ』 で本気でアホらしくて笑った。 だが終始、「(婚前交渉を断る彼女への何回もの熱い説得に)お前さぁ……」「(性交渉のシーンが多い)ペッティングの話はもうええて!!💢💢」とイライラしていたため、読み進めるのがしんどかった。 マジで入り込めなさ過ぎて、『眠り』とはまた全然違う意味で助けてほしくなる話だった。 『加納クレタ』 💧🏺 「でもさ、世間の綺麗な女がみんなかたっぱしから強姦されるというわけではないだろうが」とマルタは言う。そのとおりだと私も思う。そんな目にあうのはこの私だけなのだ。たぶん私にも責任があるのだろう。男がそんな気になるのは、私がおどおどしているからかもしれない。だからみんなそういうのを見るといらいらして、思わず犯したくなってしまうのかもしれない。 🎡……「たぶん私にも責任があるのだろう。男がそんな気になるのは、私がおどおどしているからかもしれない。だからみんなそういうのを見るといらいらして、思わず犯したくなってしまうのかもしれない。」 フィクションだとしても、"男がこれを記述している"そのことに強い憤りを感じる。いい加減にしろと言いたい。自制心の効かない獣の加害にお前(クレタ)が責任を負う必要がどこにある。 ここにウッとなった女性達にはぜひ吉野朔実さんの『恋愛的瞬間』第1巻を読んでもらいたい。 "そうではない"ことを説明してくれています。 『ゾンビ』 そんなこと言う男と結婚すんのやめなさい。 今ならまだ間に合う。 『Thriller』のMVとリンクしてる世界観設定は面白いと思った。 『眠り』 ▷ ②まとめ
ナフリ@harnafri2026年8月2日読み終わった全体的に『ねじまき鳥クロニクル』の前身のような雰囲気のある作品集だった。加納姉妹も登場するくらいだし。(しかしお姉さんの方の口調が『ねじまき鳥』と全然違っていて、どうした?!と読者は困惑した。) 「我らの時代のフォークロア」は読み終わってみればもの悲しさがあってしばし心に留まる作品だった。 「眠り」は女性の一人称語りというのが新鮮で、村上春樹を読んでいるということを束の間忘れたほどだったけど、もれなく挿入される「やれやれ」でちゃんと記憶が呼び戻された。おもしろく読んでいたけどずっと進む道を間違えているような不安感が漂っていて、その通りに最後数ページは怖かった。


rep@toponder_r2026年7月10日読んでるこれはどういう話???と考えて読みたいのに時計の音が割り込んできてこういうもんかと思って読み続けてしまう。タルップ・ク・シャウス タルップ・ク・シャウス

k@bookk2026年7月9日読み終わった鉛筆を手にして紙に向かうと、夫がどういう顔をしていたかまったく思い出せなかったのだ。これだけ長く一緒に暮らしているのに、私には夫がどんな顔をしていたかも思い出せないのだ。もちろん見ればわかる。頭にも浮かぶ。でもいざ絵に描こうとすると、自分が何も覚えていないことを思い知らされるのだ。まるで見えない壁にぶちあたってしまうみたいに、私は途方に暮れてしまう。ただ不思議な顔だとしか思い出せないのだ。 そのことは時々私を不安にさせる。
lain@lec_bb2026年7月9日読み終わった『眠り』という短編がすごく気に入って、ノルウェイの森から苦手な表現があり、避けがちだったけどやはりこの人の文章好きだなと思い、克服した気分だった。 何回も眠り読んでます。
え@kanokozzz2026年5月16日読み終わった男性にとっていかにセックスが重要かみたいな話が多かった。『眠り』終わり方以外は好きだった。 『加納クレタ』では、"私はたしかに問題をかかえている" "男たちは私を見るときまって犯そうとするのだ" "私はたしかに自分を美人だと思う。体も素敵だ。胸が大きくて、腰がしまっている"(←だいぶバカみたいな文章に思える) "私はこれまでとにかくありとあらゆる種類の男に犯されてきた" という女性が、また自分をレイプしようとしてきたので殺した警官の幽霊に対して"ときどきわざと裸になって身をくねらせたりしてみた" "ひどくいやらしいことも。すごく大胆に"などの行動を取るところがかなり気に障った。こういうことを気に障ると感じて当然だと思うようになったのが、最近であることが不思議。時代の認識が最近急に変わったように感じる。以前までだったら「文学的な感性」だと自然と飲み込まされていたような気がする。そんな必要は元々なかったし、著者がそれを求めているわけでもないことはわかっている。 "プルーストの作品についてもなお、男性は女性についての知識を阻まれ、部分的にしか女性のことを知らないのは明らかですー同じように、女性も男性についての知識を阻まれ、部分的にしか知らないのですが。" / 『自分ひとりの部屋』 p.145


Aquaporin@aquaporinase2026年5月15日読み終わったねじまき鳥の要素をいろんなところで感じる 夢が夢としてあるための現実の流れ方がいい メランコリーではないこの憂鬱さを退屈や渇きだと言ってみたりして、その質感を現実社会で描いたらこうなるのか

















