あいたくて ききたくて 旅にでる
あいたくて ききたくて 旅にでる
小野和子
志賀理江子
清水チナツ
濱口竜介
瀬尾夏美
PUMPQUAKES
2019年12月21日
32件の記録
辰巳@divinus-jp2026年3月3日読み終わったおすすめ田舎の曾祖父母はなぜか母屋ではなく蔵に住んでいた 食事も別だったし、東京のコの私はなんか変だなと思っていたけれど、それが普通みたいで、代が替わると祖父母が今度は母屋をでて作業小屋に移った このなかで民話の「おじいさんは山へ柴刈りに」について書かれています 年老いて村の稲刈りや屋根の葺あいにでられない、村の共同体にいられない老夫婦は田畑を手放して共同体の外の山にいく また山の仕事も体力がいるので加わることができない そういう年寄りと子供は柴を刈ることだけは許されたいた、という話が紹介されている 山へ芝刈りに、の民話の多さはそういった村の共同体から外れた老夫婦の多さではないか、と 私にとってはひどくリアルだった ちょっと前、YouTubeで【怪談×民俗学】人生の節目には「魔」が潜む?生と死を分ける日本の儀礼 https://www.youtube.com/live/9D8tgmVhN-c?si=XQYYjCwJ9cbDpvkl をみていたら興味深い表がでてきて、古本で買ったのが「村と村人」日本民俗文化大系9 ここにもそんな村の暮らしが書いてあって、写真もある 私はギリギリ、そんな暮らしを知っている でも、あっという間になくなっていった ここに聞き取られたお話は、民話でたり、昔話であり、戦争体験であり、怪談であり、拉致被害であり、すべて壮絶な影がある この本でも民話を記録していくことを影踏みのようだと書いておられる 影はいまは、村からなくなったとしても、町の灯りやネットの光の後ろにもいる 都市伝説や炎上に形を変えているけれど、そこには壮絶な影がある
いちのべ@ichinobe32026年1月15日読んでる選書イベントでヌリタシさんにおすすめいただいた本。 一見シンプルだがこだわり抜いてデザインされた本自体も、ひとつひとつのお話も心に響くものばかりで、ちまちま大切に読み進めている。 > そんな「おばあ」のところへ来るのはヤチヨさんだけでなくて、貧乏なために七つ八つから他家で働く子どもたちが、赤切れの幼い手をあたために寄ってくる「たまり場」のようになっていたという。 (中略) > 「なにか事情があって一人暮らしする人は、いつも村にいた。男だったり、女だったりしたが、橋の袂とか村はずれの山際とか、そういうところにひっそり暮らしていた。そこへおれのような子どもがよく行ったのよ。息を抜くためだよ」 (第十話『「捨てる」ということ』p124) 現代で「一人暮らしする人」として老いていく自分には、このエピソードに安心するような羨ましく思うような痛ましく思うような複雑な感情になった。
隅田川@202506282025年6月28日読み終わった@ 自宅37頁「また、県南の宿場町で会ったおじいさんはこう言っておられた。 「七つ前の子どもと畜生とホイドは、神様だから、大事にせいよ」 小さい子は親の保護がなくては生きていけない、畜生は口がきけない、そして、ホイドは施す人の慈悲にすがって生きる存在である。いってみれば誰かの助けなしには生きていけないヘルプレスな存在は、もはや「神様」なのであると考えられていたことを知った。」


- ひねどり@hinedori2025年6月22日読み終わったこのアプリを始めるきっかけ。この本を読んだことを絶対に忘れたくなくて。 筆者の方が「採訪」してくださらなかったら既に失われていたであろう、物語の息遣いが聞こえてくるような数々の民話、民話を話してくださった、1970〜80年代当時にご老人であった方々の壮絶な(しかし当時では「よくあること」であったであろう)人生、真摯に耳を傾ける筆者の姿勢、すべてに脳天を殴られたような衝撃を覚えました。






ヨムコ@yom_co2025年5月1日読み終わった借りてきた年末にこの本が実家のコタツの上に置いてあって、なんとなく読んだ「クロカゲの話」がずっと頭の片隅に残っていたので、今日母に借りてきた。 4/16〜5/1

























