あいたくて ききたくて 旅にでる
あいたくて ききたくて 旅にでる
小野和子
志賀理江子
清水チナツ
濱口竜介
瀬尾夏美
PUMPQUAKES
2019年12月21日
44件の記録
- 糸太@itota-tboyt52026年8月3日読み終わった親から子へと、何世代も越えて語り継がれてきた物語がある。これを「民話」と呼んだとき、いや、たとえば令和に生きる私たちがいわゆる「日本昔ばなし」みたいなフレームとして受け取ったとき、なにか零れ落ちてしまっているものはないだろうか。 小野さんは宮城県の山村にある一軒一軒を訪ね歩いて、そこに暮らす人々に直接民話を語ってもらってきた。本書はその記録でもあるのだが、読み終わって心に残るのは「民話」そのものよりも、語ってくれた人とそれを聞いた小野さんとの間に生じたであろう緊張感なのである。 あとがきに濱口竜介さんが書いている。小野さんにとって「聞く」とは、「古い自分を打ち捨てていくこと」とだという。情報を得ることでも、ましてや人に好かれる社交術でもなくて、「聞いたならば、それに対する自分自身のからだの反応に出会わざるを得ない。そこで自分がどのような人間か、どの程度の人間かを突きつけられる」ものと覚悟を決め、「語り手に見合う自分をつくり出さなくちゃいけない」と能動的に関わっていく。 きっと語り手も然り。自らの体を用いて語ることで、幼い頃の体験に改めて向き合う。記憶の底から絞り出した言葉は、思いがけず震えたり掠れたりして、それでも話に身を任せることで新しい自分と出会えるのかもしれない。 文字通りの真剣勝負が、幾度となく交わされてきたのだろう。このピリッとした空気感こそ、私たちがいま受け取るべき価値に違いない。

はぴ@happy-reads2026年8月2日読み始めた借りてきた民話を「採訪」した記録。 借りてすぐ第一話だけ読んだんだけど、もう早速ひき込まれた私がいる😳 語った口調そのまま書かれた「おはなし」も魅力的だけど、そのおはなしに出会うまでの著者の旅の記録や人や村へのまなざしもすごく素敵なんだ。









白玉庵@shfttg2026年7月22日読み終わった素晴らしい本だった…北に小野和子がいて、南に石牟礼道子がいて、その前に宮本常一と松谷みよ子がいたとは、昭和とはすごい時代だった。 学者でもなく仕事でもなく、ただ情熱で口話を、出たとこ勝負で訪ねた見知らぬ人からきいて記録していく。日本のこういう話を記録できた、おそらく最後の機会。カロとクロカゲで号泣。動物の話にはすぐ泣かされる。 松谷みよ子の民話記録を一時期まとめて読んだけど、また読みたくなった。 小野さんの『みちのく民話まんだら』、吉祥寺ジュンク堂で『急に具合が悪くなる』フェアに積んであったから仕事が終わったら買いに行こ。 スズキナオさんがたびたび小野さんに言及しているけれど、彼の他者に対する丁寧さと共通するものが確かにあるな。











- だいち@cineron302026年5月9日読み終わった小野さん自身も書かれていたけど、読みながら自分は本当に何も知らないことを実感した。その地で生まれたユーモアも悍ましさも同時に備えた民話の妙と、小野さんによる解説と逡巡が面白い。
辰巳@divinus-jp2026年3月3日読み終わったおすすめ田舎の曾祖父母はなぜか母屋ではなく蔵に住んでいた 食事も別だったし、東京のコの私はなんか変だなと思っていたけれど、それが普通みたいで、代が替わると祖父母が今度は母屋をでて作業小屋に移った このなかで民話の「おじいさんは山へ柴刈りに」について書かれています 年老いて村の稲刈りや屋根の葺あいにでられない、村の共同体にいられない老夫婦は田畑を手放して共同体の外の山にいく また山の仕事も体力がいるので加わることができない そういう年寄りと子供は柴を刈ることだけは許されたいた、という話が紹介されている 山へ芝刈りに、の民話の多さはそういった村の共同体から外れた老夫婦の多さではないか、と 私にとってはひどくリアルだった ちょっと前、YouTubeで【怪談×民俗学】人生の節目には「魔」が潜む?生と死を分ける日本の儀礼 https://www.youtube.com/live/9D8tgmVhN-c?si=XQYYjCwJ9cbDpvkl をみていたら興味深い表がでてきて、古本で買ったのが「村と村人」日本民俗文化大系9 ここにもそんな村の暮らしが書いてあって、写真もある 私はギリギリ、そんな暮らしを知っている でも、あっという間になくなっていった ここに聞き取られたお話は、民話でたり、昔話であり、戦争体験であり、怪談であり、拉致被害であり、すべて壮絶な影がある この本でも民話を記録していくことを影踏みのようだと書いておられる 影はいまは、村からなくなったとしても、町の灯りやネットの光の後ろにもいる 都市伝説や炎上に形を変えているけれど、そこには壮絶な影がある
いちのべ@ichinobe32026年1月15日読んでる選書イベントでヌリタシさんにおすすめいただいた本。 一見シンプルだがこだわり抜いてデザインされた本自体も、ひとつひとつのお話も心に響くものばかりで、ちまちま大切に読み進めている。 > そんな「おばあ」のところへ来るのはヤチヨさんだけでなくて、貧乏なために七つ八つから他家で働く子どもたちが、赤切れの幼い手をあたために寄ってくる「たまり場」のようになっていたという。 (中略) > 「なにか事情があって一人暮らしする人は、いつも村にいた。男だったり、女だったりしたが、橋の袂とか村はずれの山際とか、そういうところにひっそり暮らしていた。そこへおれのような子どもがよく行ったのよ。息を抜くためだよ」 (第十話『「捨てる」ということ』p124) 現代で「一人暮らしする人」として老いていく自分には、このエピソードに安心するような羨ましく思うような痛ましく思うような複雑な感情になった。
隅田川@202506282025年6月28日読み終わった@ 自宅37頁「また、県南の宿場町で会ったおじいさんはこう言っておられた。 「七つ前の子どもと畜生とホイドは、神様だから、大事にせいよ」 小さい子は親の保護がなくては生きていけない、畜生は口がきけない、そして、ホイドは施す人の慈悲にすがって生きる存在である。いってみれば誰かの助けなしには生きていけないヘルプレスな存在は、もはや「神様」なのであると考えられていたことを知った。」



- ひねどり@hinedori2025年6月22日読み終わったこのアプリを始めるきっかけ。この本を読んだことを絶対に忘れたくなくて。 筆者の方が「採訪」してくださらなかったら既に失われていたであろう、物語の息遣いが聞こえてくるような数々の民話、民話を話してくださった、1970〜80年代当時にご老人であった方々の壮絶な(しかし当時では「よくあること」であったであろう)人生、真摯に耳を傾ける筆者の姿勢、すべてに脳天を殴られたような衝撃を覚えました。







ヨムコ@yom_co2025年5月1日読み終わった借りてきた年末にこの本が実家のコタツの上に置いてあって、なんとなく読んだ「クロカゲの話」がずっと頭の片隅に残っていたので、今日母に借りてきた。 4/16〜5/1































