こちらあみ子 (ちくま文庫)

61件の記録
かめりあ@cameria_72026年7月3日読み終わったずっとゾワゾワしてた。でも、ホラーでもヒトコワでもない。収まるべき所に物がきちんと収まらない気持ち悪さをずっと凝視してる感じだった。 でも、人によってはこれはとてもリアルなんだろうな。
deepend@deepend2026年6月27日読み終わったかつて読んだ積読を崩すプロジェクト2026積読を崩すプロジェクト2026の17冊目。 読んでいてしんどかった。 ページの中から、希望や救いの兆しを必死に探しながら読み進めた。 希望はあったと思う。坊主男子が彼女にかけた言葉だったり、彼女が「やさしくしたい」と強く思ったことだったり、特攻服と思われる服を来た兄が襖を勢いよく開けた瞬間だったり、それらが希望じゃなくてなんなんだろう。 最後まで読み終えた後に再度冒頭部分のあみ子の行動を読み返してみると、それらを希望だと感じた直感は間違っていなかったと思った。 分かり合えない人間の純粋な行動は怖い。その純粋さによって自分が傷つけられることも、自分が大切な他人が傷つけられるのも怖い。 怖いけどね。 これがデビュー作なの、頭がクラクラするな。 純文学を好きだとか嫌いだとか考えたことなかったし、純文学の定義もはっきりとは言えないような人間だけど、これが純文学っていうなら私は純文学が好きだな。 「ピクニック」もスリリングで湿った面白さがあった。 最後にピクニックでスケッチをしようとしているのは「新人」で、個人的には「仲間」に取り込まれた新人がこのあとルミたちの新しいターゲットになってしまうのではと思ったけどどうだろう。 休日に1人で美術館に行って自分の感性や世界を大切にしていそうな若い女の子が、そのちょっとした異質さゆえに新しいおもちゃにされそうで怖い。
すずき@Rbell_23602026年6月15日読み終わった小学生の日常を描いて、それから恐怖が生まれるとどうして思えるだろうか。 今村夏子の小説はそういうふうにできている。できているのだから仕方がないと、そう一辺倒には納得できないようなおぞましさを抱えている。 最後、あるシーン、圧倒された。感情が揺さぶられてどうしようもなくなって、そのまま置いておく必要があるような、そんな揺さぶられ方。友達とみんなで買った思い出のガムの包み紙を、間違えてズボンのポケットに入れたまま洗濯してしまった時のような、そんな感情。

- *@su_usee2026年4月28日読んでる読み終わった「こちらあみ子」のみ ネグレクト児 専門医に診せるなり、療育を受けさせるなり(そういう時代でないのかもしれんが) あみ子と向き合う大人が不在な中話が進んでいくのがしんどかった



蔭山@kie_doors2026年2月7日読み終わったあみ子がこの世から迫害されてしまわないかハラハラしながら読んだ。解説で町田康が「一途に愛する者は、この世に居場所がない人間でなければならない」と書いていて、そうか…。 本書収録の短編『ピクニック』も『こちらあみ子』と趣き変わって、へんてこりんだけど面白かった。

- 高橋@takaryo2026年1月23日読み終わったくやしいな、あみ子を「がんばって」好きになろうとしている自分がいる ピンとこなかったよ、あまり、こなかったんだよ 自分はあみ子ではない。でも、あみ子のような人を知っている。教室に、同じ教室にいたんだよ。こわかったよ、なんで考えないの?って思ってたよ、子供の遠慮の無さが一番こわかったんだよ、子供ながらに、だから年上の兄ちゃんたちと一緒にいるのが好きだった、会話を聞くだけでよかった、大人たちの居酒屋での話を盗み聞きするような、 うらやましい、なんて言ってやらない。本当にはそう思ってないはずだから。僕は、あみ子にドキドキさせられて、いずれ通学路で会っても話もしなくなって、大人になって、あみ子がいたことも忘れて、でも、たまに、この本を、読み返したいな、なんでだろう 何を書くかより何を書かないかなんて、ピンと来たことがなかったけど、なるほど、ぎゃふん


🍂@awasedashi2025年11月13日ちょっと開いた映画「花束みたいな恋をした」で、圧迫面接する会社の偉い人とか、過重労働を強いる会社の偉い人は「今村夏子のピクニック読んでも何も感じない人」と評されていたので、該当作品を読んだ 露悪なんだよな……後味……… 翻って絹と麦(花束みたいな恋をしていた人たち)のことも苦手になった……
CandidE@candide_jp2025年4月8日読み終わった本書は、危険だ。 私は今村夏子の小説をすでに数冊読了していて、免疫があった。もし免疫がなかったら、この世に留まっていられたか、正直怪しい。 『こちらあみ子』を読んでいる間、私は心の中で両掌を合わせ、それをただひたすら擦り合わせていた。ずっと、ずっと。祈っていたのだと思う。何を祈っていたのか? わからない。この作品世界の平和の訪れでもなく、現実世界の平和の実現でもなく、自らの心の安寧でもなく、この作品世界から逃れることでもなかった。 ただただ、祈っていた。誰に? わからない——と思っていたが、よくよく自照すれば明らかだった。神ではない、仏でもない、森羅万象でもない。神や仏や森羅万象を現出させた「何か」に祈っていたのだ。なぜ祈っていたのか、それはわからない。ただ確かなのは、『こちらあみ子』を読み、私は祈り、自らを捧げていた。魂を。すべてを。 解説の町田康はこう綴っている。「世の中で生きる人間の悲しさのすべてを感じる」 私もそう思う。 続けて、「すべての情景が意味を帯び、互いに関係し合って、世の中と世の中を生きる人間の姿をその外から描いている」 私もそう思う。 今村夏子の小説は、読むうちにこの世の外側へと繋がってしまう。それは危険だ。そこには悲しみのすべてと、その故郷がある。- じん@m-jin2021年11月20日読み終わったかつて読んだ読み終わったら恐ろしくて夜眠れなくて(褒めてる) 恐る恐るみんなの感想を検索したら「真顔で人の首を絞めるような話」と言ってる人を見つけてホッとして眠れた


















































