野生のしっそう

29件の記録
- noko@nokonoko2025年9月5日買った読み終わった心に残る一節それぞれが思い返した出来事は、他の人と共有されるものではなく、あくまで個人的なものだ。同じ場所で思い返すものは、わたしと隣の乗客でほとんど重なることはない。だから、そうやって思い返す行為は孤独である、とオジェは書く。ただしこの孤独は複数の孤独でもある。わたしと同じように、車内で隣り合わせる人びとが同じように孤独な生を生きていることを想うとき、孤独であるわたしと孤独である隣人との間に、かすかな連帯が生まれる。オジェはそれを「孤立なき孤独」という(オジェ2022:65)。 介護認定が終わって、父と会話をしながら、そうやって理不尽なことに怒るのが、もう父ではなく、わたしになっていることを思った。 兄は家族に心配されているようだけれど、実は家族を一番心配しているんだよ、ほかの障害のある人もみんなそうなんだよ (兄が)叫ぶことを止めようとしていたわたしは、いつしか叫ぶことができるのに、叫んでいない自分に気づかされた。同じように、わたしは兄がいなくなってしまったのを失踪と片づけようとした。だが、兄の行く先を知った時、疾走できるはずなのに、疾走していない自分自身を突きつけられているように感じた。 植民地支配する側とされる側、人種、性差といった違いの中で、他者の沈黙の口に言葉を与えてしまうことーそれは、多くの場合、全員によってなされるーの暴力にふれたこの論文を読みながら、わたしは兄の言葉を代弁できるのかということを考えた。 わたしの経験を兄の経験と重ねること、兄の経験をわたしの言葉で語ること、そのことに何の疑いも持たなくなってしまったときに、わたしは兄を代弁するようでいながら、兄の言葉を奪うことになる。 言葉を奪うことなく、ともにあることができるのかということを、私はそれから考え続けていたのだ、と今、思う。わたしが感じた苦痛と、兄が感じた苦痛は別のものであるが、どこかでつながっている。 つながっているところと、ずれているところと、その両方が重要である。 兄はここ数年、よく涙を流すようになった。…泣いているときの兄は、本当に悲しそうだ。それは兄にとって、帰るべき場所、帰りたい場所がなくなってしまったこと、かつてのような場所でなくなったことを悲しんでいるようにわたしは感じる。そしてそれは、わたし自身の内側にある想いでもある。 生きることの切なさとは、かつてそのただなかにあったものが徐々に、しかし、確実に失われてしまうことだ。その耐え切れない切なさに対峙しているもの同士として、孤独なわたしたちは初めて、それぞれの世界を重ねることができる。
- oheso@oheso2025年8月19日読み終わった@ 自宅異質な存在を勝手に解釈し、行政的判断に基づき管理する社会。どのような状況でも、自らの内面にのみ従い、野生の力をまとうかのようにしっそうする兄。兄の経験や思考を追いながらも、あくまで兄を理解するのではなく、自分自身の思考の仕方を問い直す著者。他者といっとき時間を共にし、身体性を共有することで、「誰かを人ではないものとして扱う思考に対して、抗うための思考」を本書は探し続ける。
- みやも@miyamo2025年7月10日読み終わったおもしろかった!人それぞれ、そして読んだときの各人の心境によって、さまざまな受け止め方や解釈ができそうな、奥行きと幅のある豊かな本だなと。手元に置いてその時々で味わってみたいとう気にさせられる
- 吉田真哉@yancy_752025年5月11日読み終わった猪瀬浩平著『野生のしっそうー障害、兄、そして人類学とともに』(ミシマ社) 障害のある兄、と、家族をめぐる物語。「言葉を奪うことなく、ともにあることができるのか」「つながっているところと、ずれているところと、その両方が重要」という言葉に、自分の振る舞いを省みる…。 読み終えて思ったのは、同じく埼玉を拠点に市民活動分野で活躍しているある方と、トークしたりしていないだろうか?ということ。きっとハマるような気がする。どなたか企画してくれないものか……。
- ぽらりすぶっくす@motosasa2025年3月8日著者の非常に丁寧な語りが印象的だった。それが著者が見て感じている世界なのだと思う。自分だったら、その咆哮を、しっそうを、そんなふうに捉えられるだろうか。変に良い面だけを記載しているわけではなく、悪意みたいなものの存在も隣に感じながら、事実を咀嚼していく。上げるわけでもなく、もちろん下げるわけでもない、冷静な(時に静かな怒りを感じる)語りだった。読んでよかった。