特性のない男
14件の記録
ジクロロ@jirowcrew2026年5月5日読んでる「私にはよくわかりません」とディオティーマはさらに話を続けた。「あなた(ウルリッヒ)が真面目に話をすることなんてめったにないように思いますもの。だけどちゃんと訊いておかなければなりませんわ。私たちは共に重大な任務を背負っているのですから!先日話したことを覚えていらして?あのとき何かおっしゃっていましたね。たしか、たとえ全能の力を持っていたとしても、自分が望むことを現実のものとする人はいないだろうと。どうしてそんなことをおっしゃったのか知りたいのです。なんとも恐ろしい考え方ではありませんか?」 ウルリッヒはすぐには答えなかった。彼女は自分としては可能なかぎり思い切った物言いをしたが、それから訪れた静寂のさ中、自分がどれほどあの許されざる問いーーアルンハイムとわたしは、それぞれがひそかに望んでいるあのことを実現するのだろうかーーに心を奪われているかに気がついた。彼女は急に、ウルリッヒに本心が知れてしまったという思いに襲われ、顔が紅潮した。 (第1巻第69章) 「自分が望むことを現実のものとする人」 そういった人が退屈に思えることがある。 現実になってしまえば、その現実化されてしまった現実そのものから、関心は逸れてしまう。 「現実のものとする人」とは、 良くも悪くも「特性のある人」となってしまう。 消費の「対象」、ひとつの「記号」に成り下がる。 「特性」とはひとつの「悲しさ」とも言えないか。 源氏物語を思う、ものとなることのあはれ。 好きな人に、「好き」と伝えられない理由。たとえ互いに両想いであったとしても。 「美を食べる」 シモーヌ・ヴェイユならそういった成就を嫌悪するに違いない。 ディオティーマの問いに対し、ウルリッヒは饒舌をもって答えるも、彼女を満足させることができない。 ウルリッヒが、いや、ディオティーマとウルリッヒの「二人」が、「自分が望むこと」を口にできないからだ。 「たとえ全能の力を持っていたとしても、自分が望むことを現実のものとする人はいないだろう」 そのような、真理でもなく、主観でもないもの、このウルリッヒにとっての自身への要請は、彼を確実に「特性のない男」へと導いていくことだろうと思う。 そして、5月5日に書く内容ではなかったなと思う。
ジクロロ@jirowcrew2026年2月2日読んでるそれでも総体として、あるいは平均としては、つねに可能性は可能性のままであり、いつまでも可能性でありつづけるだろう。その反復が終わるのは、現実のものが想念上のものより上位に置かれることはないと考える人間が現れるときである。新たな可能性に初めて意味と形を与えるのはそういう人間であり、彼こそが可能性を目覚めさせるのだ。 (第1巻第4章) 現実よりもより相応しい現実があると信じること。 そうすることにより、可能性が可能性にとどまらず、おのずとかたちになりはじめるということ。


ジクロロ@jirowcrew2025年11月17日ちょっと開いた「ウルリッヒは微笑みながら静かにこう言ったのだった。「千年王国を予言する、こんな言葉がある。神々にとって千年とは、たった一度の瞬きにすぎない!」それからふたりはまた寝椅子にもたれ、静寂が語る夢のような言葉にさらに耳を傾けた。 アガーテは考えた。「こんな世界を見せてくれたのはこのひとだけ。なのに彼はいつもそれを信じられなくなって、今みたいに微笑んでしまう!」 (第2章 遺稿部第46章) 千年も、世界も、 ウルリッヒの微笑みひとつに流されてしまう。 その微笑みはひとつの柔らかな終わりであり、次の千年の予言であるということ。 終わったのではなく、まだ始まってもいない。 ウルリッヒの微笑みとは、そんな実感に対するため息であり、未完の物語たちの接続詞。
ジクロロ@jirowcrew2025年10月31日ちょっと開いた「アガーテの理解しがたい振舞いは、生を否定したいという誘惑が次第に鬱積していく状態のひとつしか説明できない。そうした誘惑に駆られるのは、自分が何をしたいのか自分でもわからない人びとであるらしいーーこの確信はもはや彼の心を去ることはなかった。」 2巻29章 生を否定したいという誘惑。 ああ、これはほんとうにそのとおりだと 左の頬を思い切り掻きむしる。 ああ、これが生の肯定か。 無意識に傷つけた頬の熱さ。 いずれにせよ、彼の「生を否定したいという誘惑」がもたらした振舞いは、彼自身にも理由はわからなくとも大いに意味のある行為であった。それはムジールの筆により書き記され、世界の人々に読まれることになるのだから。 それは生を肯定した。 良くも悪くも、すべては愛の側に絡め取られてゆくということか。
ジクロロ@jirowcrew2025年10月30日ちょっと開いた「だからぼくは信じ、そして信じない! いや、もしかするとぼくは信じているのかもしれない。いつか人間が一方では知性をめざましく発達させながら、他方では神秘家になることを。もしかするとぼくらのモラルは今日もう、この二つの成分に分たれているのかもしれない。数学と神秘主義に、と言ってもいいだろうか。あるいは、現実の改良とまだ見ぬ冒険に、と。」 第2巻第12章 p.351 信念を語る人間が、その最後に「もしかすると」を重ねるところ、そこに信念という概念の傍若ぶりが見てとれる。 情熱のない信念はあり得ない。 迷いのない信念に情熱はない。 追い込まれてはじめて芽吹くもの、 それがほんとうの信念であり倫理であると いうことを。









