がっこうはじごく

14件の記録
- ゆい奈@tu1_book2025年5月9日読み終わった@ 自宅「わたしがいてもいなくても、世界はなんてことない顔で回っていくのだと思うとたまらない。」という言葉が綴られていて、奇しくも、この言葉のまえに「かなしいかな、」とつけた文章をわたしはきょう他人に話していて、なんて面倒な人間なのだろうとおもう反面、わたしは、わたしがここにいてほしい、と誰かにおもっていてほしいとおもうのだった。わたしは、わたしがここにいていいということを誰かに認めてほしいのだった。だけどそんなこと、誰もいってくれなくて、それでいて、なんと、わたしがいなくても世界はまわってしまうらしいのだ。一体どうして!はーあ!という気持ちになっていたのだけど、夜になって冷静になると、ただのめんどくさいやつだった。だけど堀さんはそういったことを包みかくさずに書いてくれるから、わたしはわたしで、あなたはあなた、それはとても尊いことなのだということを伝えてくれるから、それらを胸にしまって、安心して眠ることにする。 「いま、ここにひらかれている」という章がすきだった。いや、どれもすきなのだけど。
- ゆい奈@tu1_book2025年5月5日春になったら読もうとおもっていて、それで散歩に行くと、風がきもちよくて、読もうとおもってひらいた。 P.18「"ぼくらは 生まれて よかったよ ぼくらを産んでくれて ありがとう"と大声で、さまざまにちぐはぐな音程で、そう歌っていた。ーーーーあなたが生まれてよかったかどうか、わたさはたちに産んでくれて、感謝したいかどうかも、まだわかるはずがない。わかるはずがないあんなちいさなうちから、大人はそう、歌わせる。子供たちにむろん非はなく、そういう大人の所業によって、そのつまらない思想は、しっかりと子どもたちに内面化されてゆく。うちの子どももよくその歌を家で歌っている。ああ。だめとは言わないけれど、そんなこと言わなくていいんだよ。思わなくていいんだよ。だからその歌詞の意味に気づいたときにどうか思う存分反抗してほしい。」 『赤髪の白雪姫』の再読もたのしくて、わんわん泣いてる。わたしのいちばんの好きな人は、まだでてこない。彼、いつでてくるんだったっけ。もちろんオビもすきなのだけど。
- ヨル@yoru_no_hon2025年3月13日読み始めた読んでるひっっっさしぶりの美容院でのカラー。『富士日記』『がっこうはじごく』を選んで持っていった。担当の美容師さんがわたしが本を読むと分かったのか、まっっっったく世間話をしない人でほんと助かる。読書と睡眠に没頭できる時間でうれしい。 学生のころを思い出すと、先生って、先生としての意思しかないようにも見えて、非人間的な感じもして、ちょっと怖いような存在だったなあ、とぼんやりと思う。わかっていることだけど、先生も人なんだよなあと。先生に対してなぜか非人間的な機械のような、そんな印象を受けるのは、わたしが接してきた極わずかな先生たちからの印象でしかないのだけれど、その先生たちはしっかり〈学校のなかの人間〉になっていたからだろうなあと思う。先生として自信に溢れ、自分の発言は正しいと思っているような人たち。堀さんのような、学校のなかの人間にはならないと思って接してくれていた先生もいたのだろうなあ。ぽつらぽつら、その先生の顔が浮かぶ。人と人として、今のあなたの声が、ことばが聞きたいと思ってくれていた先生が。
- たま子@tama_co_co2025年3月1日読み終わった@ 電車移動中ちびちびと読んでいたけど読み終わってしまった。最後の『春の匂いがわからない』を読みはじめ「3月に入り」とはじまる文章に、ぞわぞわぞわ、とする。いつだって読んでいる本と自分の今が重なったとき、嬉しいような奇妙なきもちになってぞわりとする。ぺらぺらとはじめから読み返し、『いま、ここにひらかれている』がとくにすきだったから、そのページの付箋を他のページの付箋より長くはみ出るように貼り直す。今日から3月。また春がきた。
- たま子@tama_co_co2025年2月19日まだ読んでる@ 電車しごとを早く切り上げて大急ぎで『SIGUR RÓS performing with Orchestra』の神戸公演へ。目を閉じると未開の森を歩いていく情景が浮かぶ。圧倒的な自然への畏怖から、世界に受け入れられはじめるまでの物語のような音の中にいた。帰りの電車で『がっこうはじごく』をひらく。余韻たっぷりで本など読めないだろうと思っていたら、めっちゃ読めた。堀静香さんだものな。移動中だけと決めてちびちび読み進めていたけど、もうすぐ読み終わってしまう。